安部恭弘(PART4)

 2007年にデビュー25周年を迎え、2007年12月12日に待望の25thベストアルバム「I LOVE YOU」をリリースした、
 安部恭弘さんのロングインタビュー。PART4。


(2008年4月21日/横浜某所にて/インタビュアー:TERA@moment)





 安部恭弘(Yasuhiro Abe) PART4

  Talk&Interview #64
 
  


    
 安部恭弘 ロングインタビュー (PART4)

「I LOVE YOU」が出来たんで、自分の音楽性も再確認できたし、新しい音楽を作りたいっていう意欲が沸々と湧いてるし。アコースティックなアプローチでそこに含まれてる強い感情とか優しさとか、あと若い人たちとの共有したい思いとか、あと自分たちが年取っていく将来に対する思いとか、その辺を楽曲として、歌として残していきたいなあって思ってますね。

TERA(以下:T):よろしくお願いします。大ロングインタビューのパート4ですね。90年代後半からです。

安部恭弘 (以下:A):90年代後半っていうか、もう2000年ミレニアムで地球はどうなるんだろうって大騒ぎした時期があったけど、何も起らずそのまま突入していって、「AMS&I」をやりながら、ラフなライブの楽しみ方っていうのを知って、「安部恭弘20周年」っていう事が絡んできて、82年にデビューしたんで2001年から2002年、その辺にかけて「じゃあ、20周年を記念して何か動こうよ」って事になって「AMS&I」がほぼアコースティック系だったんで、今度は「安部恭弘」のライブメンバー、ライブナンバーを集めて、アコースティック&エレクトリックの構成で出来ないかと。それで「スタジオ1970」を大いに活用した「安部恭弘」ソロだったらばどうするかって事で。フルアルバムにするんだろうかって一応考えてもみたんだけど、ここはひとつミニアルバムで4、5曲ぐらいやってみたいなってことで。とりあえずバンドで5、6曲ツルッと録ってしまって、ほんとうはもうちょっとあったんですけど、その中から自分が好きな「20周年」のアプローチにふさわしい楽曲を選んで、まとめたのが「フォー・ニュー・カマー」っていうアルバム、5曲入りの。久しぶりに作詞も自分でやって、アレンジもバンドのメンバーとやりながら。その「20周年」の集大成をサッとこう調理したって感じかなあ。


T:タイトルはどういうところから。

A:その時の周りの音楽関係、日本の音楽シーンっていうのを見ながら、若いミュージシャンたちのオリジナリティとか個性とかを見てて、触発されるとこも有ったし、まだまだ足りないなって思う事もあったし、「安部恭弘」が今までやって来た事と、これからやっていきたい事とあと新人類たちとの融合みたいな事をしたかったんで「フォー・ニュー・カマー」新人たちに向けてのメッセージみたいなそういうところから「フォー・ニュー・カマー」ってタイトル出来たんじゃないかな。

T:それは音楽人としてということですか?


A:いや、そんな意味じゃなくて一社会人として。いくら音楽人と言っても社会人だから、地球で生活している、地球環境2000年の、先々地球がどうなるかっていう事も含めて、先々責任を持って考えていかなきゃやばいんじゃないのっていう、そんなメッセージでしたね。

T:なるほど。

A:「メイク・ア・ワンダフル・ワールド・フォー・ニュー・カマー」っていうタイトルの曲が有って、そこから「フォー・ニュー・カマー」っていう言葉が今回の象徴になるかなって持ってきたんですけど。

T:なるほど。メンバー的に若いアーティスト、ミュージシャン等との競演は。

A:何か有ったとすればレコーディングまでにいくつかのライブで何人かの若めのアーティストと一緒に共演したって事かな。それより、ラフな感じのアプローチで作っていくっていうのが、非常にコンパクトで面白かったので、この5曲のミニアルバムっていうのはいいなあって、このスタイルで3部作にしてみようかなってのがあって。一番はじめから3部作っていうのは無かったと思うんですけど、まあ結果としてあとで、3部作の15曲をまとめたらいいのかなっていうのは、心の底にはありましたけど。で、1作目がすこし実験的なアプローチだったんで、2作目はもうすこしやわらかい、バラードタッチの手触りにまとめようかと。他のアーティストに書いた曲を「安部恭弘」スタイルにしたりね。そのアルバムには「鈴木雅之」に書いた「スティル・リヴ・イン・マイ・ハート」と「君」も入ってるし、松本英子という女の子に書いた「リアライズ」っていう曲も選びました。もともとは「鈴木雅之」に書いた曲も、「リアライズ」っていうのも、自分のライブで他の詩で歌ってたのね。それで自分のアルバムで歌う時にどっちの詩で歌おうかって、一応悩んで、でもやはり他のアーティストがお披露目したオリジナルっていうか、発表した形にならって最終的には歌ったんですけど。それから新曲ではプロデュースした若いアーティストに詩を書いてもらったりして、今までには無かった「安部恭弘」の違った色のアプローチっていうのも試してみましたけどね。おかげで過激な感じの曲も出来ましたしね。その2枚目のミニアルバムは「ヘブン・ローゼス」っていうタイトルにしたんですけど、レコーディングの最初からアルバムの中で象徴となるような不思議な手触りのアプローチをしたかった楽曲が一曲あって、そのタイトルだけが先にひらめいてしまい、無理にお願いしたのが「ヘブン・ローゼス」っていう曲なんです。

T:それはどういうアプローチに。

A:それはね、浮遊感たっぷりの居場所の無い、心情も揺れてる感じの何だか本当に抽象的な、時空もそうだし、映像とか色彩の手触り、なんとなくどこまでも浮遊してる感じを作りたかったんですよね。

T:なるほど。で、3部作の最後は?

A:1枚目がどちらかというと男性的カチッとしたやつで、2枚目がそれに比べたら女性的かな、ということで3部作のラストはちょっとポップな感じの要素をもっと入れたかったんだよね。カラフルなはじけたところのある感じのポップな作品にしたくて。それならばって、昔の作詞家の相棒だった「森浩美」っていう、いまでは大先生ですけど、100万枚超えるシングルを何曲も書いた売れっ子の有名作詞家になっちゃって。「SPEED」とかも書いてたし、「SMAP」とかにも書いてるし。とにかく「森浩美」大先生に電話して、こんな感じでやってんですけどお忙しいですかって。お忙しいでしょうけど詩を書いてくんないって話したら、「いいよ、書いてあげるよ」って言ってくれて。ポップではじけたっていうコンセプトからすると「森浩美」っていう作詞家が良いなって思って。そういうアプローチだったんですよ。その辺は御陰様で若っぽい曲に仕上がりました。あとそれから「夏の待ちぼうけ」って曲だな。この曲は自分の中でも大好きだったんですけど、もうデビューする前、学生の時。それこそ「杉」さんとか「まりや」とかと一緒に遊ぶ以前に作って、歌ってた曲だったんですけど、その「夏の待ちぼうけ」を新しいアレンジで収録したんだよね。30年くらいかかってやっと自分色のアレンジにまとめたかな。実はこの曲は何回かアプローチした事があって、中々納得したアレンジが出来なかったんだ。アマチュアの頃、「ユーミン」とか「松任谷」さんが審査員をしてたコンテストでも受けが良かった思い出のある曲で、アマチュアの時に1回レコーディングした事あんだけど「マツシタマコト」のアレンジで。

T:なるほど。

A:その時から「マツシタマコト」と縁があったんだけど。その楽曲をどうしても入れたいなと思い、で、アルバムタイトルの「クロニクル」に繋がっていくわけ。タイトルどうしようかって思った時「クロニクル」っていう響きが良くて、「ねじ巻き時計のクロニクル」だっけ?「村上春樹」さんの本のタイトルにそういうのがあって、あれは行ったり来たり場面転換してる小説だったんで、そのイメージが面白くて、その「夏の待ちぼうけ」っていう初期のアマチュアの時の作品だったり、最近の新しい楽曲だったり、アルバムに収めた楽曲の手触りが、僕の中での時空の位置関係っていうのが非常に「村上春樹」さんの「クロニクル」の書き方にアプローチが似てたんで、そこともちょっとリンクさせて、そういうタイトルにしちゃったんですけど。でも後で思ったのが一作早かったなって思ったの。3部作出して、すべてまとめたアルバムのタイトルが「クロニクル」でもよかったなって。それは後で思ったんだけどね。それでそれのジャケット撮影が、箱崎ジャンクション近辺の高速の下の橋の上で、夜中っていうか明け方っていうか、カメラのシャッターを開放にしたまま車が走り去るヘッドライトの残像とかあるじゃない。開放にしとけば薄っすらとしたビルが焼けてくるじゃない。それで感光するまでじっとそこに立ってるわけだけど、動いちゃいけない。ずーっとね。僕は延々と止まったままで走り去る車を見てなきゃいけない。そんな撮影をして面白かったよ。

T:その3枚っていうのは後に一枚にまとめる方向に?

A:ポリスターの「1970」スタジオを使って3枚を1枚にまとめようかって話をしてたんだけど、中々時期が見当たらなくて。ライブもそのアルバムのツアーとかじゃなくて、その頃には「スイート・ベイジル」を基本にした東京中心のライブ発想になって、それでも名古屋、大阪は小編成でちょこちょこっと行ってたりしてましたけど。で、なんだかんだ曲を作ったりライブをしたりしてるうちに、3部作のまとめどころを逃してしまって、デビュー25周年の企画に流れていくわけですよ。

T:ある意味「クロニクル」への流れですよね。

A:そうですね。アプローチとしては繋がってますよね。

T:その25周年っていうのは「I LOVE YOU」は。

A:もともとは時期を逃してしまった3部作の合体作業をやろうと思ってたの。3部作で15曲プラスαレコーディングしてたんで、そのプラスαを含め、あと何曲か新曲も含め何か作れば、12、3曲入りのフルアルバム。いくつか楽器を入れ直して、ミックスし直して、そのまとめを25周年の企画にしようかなと思ってたの。それでエグゼクティブ・プロデューサーである牧村さんに相談したらば、3部作まとめる手もあるけど、ここはいっその事25周年のくくりを東芝時代からの曲、全部をまとめてベストアルバムっていいじゃないのって大胆な発想いただいて。出来んのかなそんな事って、お金もすごくかかるし、そんなのどうなるんだろって思ったけど、恐らくファンの人なら相当喜ぶだろうなって。実はデビューから4枚目までの東芝盤はリマスタリング再発売されてたんで、5枚目以降っていうのは全く手つかずだったんで、それも含めてまとめてみようかなって思ったのね。だからそこから選曲とか始まるわけですけど。

T:「I LOVE YOU」といえば、アルバムディレクターの高岡(厚詞)さんとは、いつ頃からですか?


A:高岡さんはね、3部作の前のポリスタープロデュースものを色々手助けしてくれてたから。

T:じゃあその流れで「I LOVE YOU」が?

A:僕の仕事のテンポとかやり方に対して高岡さんは一生懸命協力してくれるのでここは是非お願いしますって、頼んだんです。

T:「I LOVE YOU」については、既にCDのパッケージの中に入ってるブックレットや、ウェブ、ブログとかでかなり語り尽くされてると思うんですが。

A:まとめ役をかってくれた高岡さんが一番こだわった点が歴史を語ろうっていうところで、単なる楽曲をまとめただけじゃなく、歴史を語ったものをまとめておきたいって。そこは高岡さんのアイデアですよね。それでデビューの頃からをずーっとしゃべって、長時間にわたるインタビューになったんですけど。ブックレット、すごいページになっちゃって。ブックレットが充実してて、写真も一杯入ってて驚かれてます。選曲に関してはまあ大変だったけど、ファンの人が喜ぶであろうという選曲に努めました。未発表曲、世に出てない曲はないの?っていう質問があって、デビュー前のデモテープを探して、素材があるのかどうかも分からないし、内容が使える音かどうかも分からないし、とにかく探して。他にライブテープがないかってことで、当時のスタッフに連絡して協力してもらったり色んなライブテープを探して。とどめに一番目玉商品になるワザってないの?っていうリクエストもあって。大親友「竹内まりや」ちゃんに急遽連絡して、25周年企画してるんだけど、何か参加してもらえるかなあっておうかがいしたら二つ返事で「いいよ」って。「何でも出来るよ」って言ってくれて。うれしかったなあ。そこで1980年にまりやが歌ってくれた「五線紙」を「安部恭弘」2007バージョンでもう一度録り直す事にして、それが一番刺激があったなあ。25周年企画BOXの刺激としては。

T:あと一緒にやらせてもらった映像があるんですけど。いろいろと貴重な映像も残ってましたね。

A:そうなんですよ。音だけじゃなくて映像も出来たらいいよねって。そこでまた探しまくって、8ミリだったり、VHSだったり。運良く色んな映像が出てきて、自分でも忘れてた映像が最終的にあってね、日本青年館でのデビューコンサートライブ映像が出てきてこれにはほんとびっくりしましたけど。色んな映像、どれを使っていいのかっていうところで。あくまで映像に関してはおまけでいいなって出発したんだけど、色々見ていくうちにおまけじゃもったいないなあって。

T:これまで映像作品を発表しなかった理由ってあるんですか?

A:映像作品ね、嫌だったんですよね。と言うかね、映像作品が嫌だったっていうのは、ライブ録音も嫌だっていうのと同じなんだけど。瞬間を切り取ったものを世に出すのが怖かったっていうのか。やっぱりスタジオ録音して、計算して完成して作り上げてく、それを世に出したかった。根底にはそれがあったんですよ。それが変わっていったのはやっぱり「AMS&I」のライブをやったり自分のライブの仕方が変わってきたっていう、そのライブの一瞬を切り取った、一瞬一瞬の、瞬間瞬間のライブの楽しみ方、それが非常に価値あるものだなって。もう流れ去って、形が残っていかないものだなって。根底にはその流れていく形の無いものが貴重だっていうのがあんだけど、それを形として出しちゃっていいのかっていういうのがどうしてもね。で今回、自分で昔のを見た時、聞いた時に素直に楽しめたから、これは自分が楽しめちゃうんだったら、出してもいいかなっていう、そっから変わってきたんですよね。25周年だからいいやっていう思い切りもあったし。で、ライブ録音使っちゃえ、映像も使っちゃおうって。まあ25周年のくぎりがそうさせたっていうところがありますけどね。

T:当時、80年代は、ビデオクリップみたいなものはなかったんですか?

A:そう。あったですね、そういえば。今思い起こすと、自社作ビデオクリップあるんですけど、手元に残ってないから。手元に残ってないし、見てみないと判断出来ない。作った思い出はありますよ。

T:あの頃ちょうど、MTVとか開局した後ですもんね。今後の展開としては。

A:そうですね。今回25周年記念が非常に充実した作品、企画版「I LOVE YOU」が出来たんで、自分の音楽性も再確認できたし、新しい音楽を作りたいっていう意欲が沸々と湧いてるし。アコースティックなアプローチでそこに含まれてる強い感情とか優しさとか、あと若い人たちとの共有したい思いとか、あと自分たちが年取っていく将来に対する思いとか、その辺を楽曲として、歌として残していきたいなあって思ってますね。諸先輩もがんばってるし、仲間たちもがんばってるんで、私も早く、活動を充実させたいですね。形になるもの、CDなのか配信なのか分からないですけど、やりたいと思ってます。あと映像、使いたい映像が出てきてるんでその辺もいつかまとめたいなって思ってます。

T:ライブは、東京以外に。

A:取りあえずね、5月11日に名古屋でイベントに参加するんですけど、それはフェスティバルみたいな感じで、100人ぐらいのアーティストが色んな会場でライブするらしいんですけど、そこの5月11日にライブやります。久しぶりに名古屋にいきます。あと東京は6月22日、日曜日。スウィート・ベイジルがあります。その後足回りを軽くして、地方とか小さいライブをやりたいなって思ってるんですけど。新曲も発表出来るように作っていきたいなと思ってます。

T:新しい音源っていうのは具体的に。

A:ライブで歌ってて音源として残ってない例えば「鈴木雅之」に書いた好きな楽曲があったり、他の人に書いた楽曲あったり、自分のストックとして早く形にしたい楽曲があって。そのほか幾つか候補になってる楽曲はあるんで、あとはレコーディングするだけなんですけど。そのほか自分の家でレコーディングしてるストックっていうのも幾つかあるんで、それもいつかまとめて出したいなって思ってますけどね。クリスマスのライブ会場で流したジョンの「ハッピー・クリスマス」のアカペラバージョンがお気に入りなので、いつかお届け出来たらいいかなって思ってますけどね。そこまで言っちゃうとサービスしすぎだからな。曖昧にしとかないと。

T:なるほど。

A:そうなんですよね。まりやちゃんが30周年で、杉さんも30周年でがんばってるんで。僕としてはまだまだ25周年、もっとがんばっていきたいなと思ってますけど。映像どうなんでしょうね。

T:ねえ、楽しみですね。

A:長期にわたり世話になりましたけど。最近新しいアプローチ、ちょっと感じてて、自分の中であるんです。音楽が楽しいなって思ってる時期でもありますんで、このまま一気に新作に向けて進んでいきたいなって思ってます。今後ともよろしくお願いします。

T:こちらこそ、宜しくお願いします。
じゃあそんな感じで。4ヶ月にわたり、ありがとうございました。


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