ジギタリス/山本美禰子 (PART2)

これまでにアルバムを2枚発表。山本美禰子(やまもとみねこ)が創造する独特の世界観をロックに乗せて詠うジギタリス
現在、待望の3rdアルバムをレコーディング中のジギタリス。その山本美禰子さんのロングインタビューです。そのPART2。


(2009年10月某日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 ジギタリス (山本美禰子)
 ロングインタビュー (PART2)

  Talk&Interview #83
 
  


    
 山本美禰子 ロングインタビュー (PART2)


TERA(以下:T):では、PART2です。よろしくお願いします!


山本美禰子(以下:Y):よろしくお願いします!

T:その高1の時に始めたバンドですが、当然、女性バンドですか?

Y:遊びでやってる部活のほうは女性のみだったんですけど、もうひとつ自分で、歌ではじめたほうのバンドは周りのメンバーも全員男性でしかも30過ぎてる、私ひとりで15歳みたいな。そのバンドを始めたのはだいだい高校1年生。

T:それぞれどういう活動を?

Y:部活の方はほんとに遊びで、流行ってたビジュアル系のバンドをコピーしたりとか。

T:どのバンド?

Y:ルナシーとかやってました。ラルクとか。ラルクはいまでもちょっと好きなんですけど。


T:なるほど。外のバンドは?

Y:外のバンドは、ほんとに私が曲も書いて詩も書いてっていう感じ。私は歌だけ。たまにギター弾いたりってことはあったんですけど。そのバンドはあんまりうまくいかなくて半年くらいでやめちゃったんです。


T:きっかけは?

Y:私すごく積極的だったので自分でビラを作って、当時はインターネットとか普及してなかったので、楽器屋さんに張ってくださいって渡しに行って、電話をかけてきてくれた人と直接会っていう、今考えれば結構危ないことをしてましたね(笑)


T:なるほど。そこのバンドでは自分のサウンドを?

Y:そうですね、音楽で。その頃には、なぜかもう音楽でやっていこうっていう気持ちが決まってたみたいですね、今考えれば。


T:そのバンドが半年で解散して、その次は何か作ったんですか?

Y:いや、それでかなり挫折しちゃって。打たれ弱かったんだとおもうんですけど、結局メンバーがすごく年上だったのでうまくコミュニケーションとることができなかったですし、私、音楽の才能ないなって思ったんですよね。

T:それは何か理由が?

Y:他の人とうまくできなかったっていうのと、まだ自分が満足するようなものが作れなかったんですよ、そのときは。


T:メロディー?詩?

Y:全体的に。歌もそうですし。で、その段階で一度あきらめちゃったんですよね。それから音楽すごく嫌いになっちゃって。4年間くらいずっと聴かない、自分もやらないし、ドラムは続けてましたけど、歌はやらないって時期が4年間くらい続いて。そのブランクが明けたあとにやったのが今のバンドなんです。それまではほんとに暗黒時代って言うか、音楽は何もやらない。


T:ドラムはそもそも、何がきっかけで?

Y:軽音楽部で人手が足りなくて、「叩いてよ」ってところから。


T:自分でセットを買って始めたんじゃなく、置いてあるやつを?

Y:そうです。でも、せっかくやるならと思って1,2年習いましたね。


T:習ったっていうのは?

Y:ヤマハで。


T:なるほど。一人で叩いて楽しかったですか?

Y:楽しいですね。ストレス解消になるって言うのがひとつありますし。


T:なるほど。普通のロックドラムですか?

Y:ロックドラムです、普通の。ドラムって根源的な楽器だと思うんですよね。今でもボーっとしてるとリズム叩いちゃってるときがよくあるんですけど。そういう初期衝動って言うものを満たす、何も考えないですぐ。っていう感じですごくストレス解消になってましたね。

T:バンド解散してもう曲を作ったりって言うのは一時期しなかった?

Y:まったく。4年くらいしなかったですね。

T:それは、バンド解散した時点で決めたんですか?

Y:やる気をなくしちゃったって言ったほうがいいと思いますね。ひとつバンド始めてって、やったことある方なら誰でもそうだと思うんですけど、大変じゃないですか。そういうところで違うなって思っちゃった。なんでかっていうと、すごく焦ってたと思うんですよね。何か自分が特別になれること見つけなきゃっていうのですごく焦っていたとおもうので。一回だめだったからもうだめって心が折れてしまった。


T:さっきも出てきたんですけど、特別な存在という、自分は人より特別な部分があるって言うのは、小さい頃思ってたんですよね。それは、何が起因しているのですか?

Y:やっぱり親ですよね。特別甘やかされたと思うんですよね。そういうところで、自分は常にがんばってなきゃいけないって気持ちがあったと思うんですよ。それはどんなこどもでも多かれ少なかれあると思うんですけど、そういうところを挫折したり乗り越えたりして大人になっていくと思うんですよね。そういうものから抜け出していくのに時間が掛かった、っていう言い方をしたほうがいいかもしれません。


T:色々とチャレンジして才能を引き出そうとしてきた?

Y:そういうことですかね・・・才能っていうのがあるのかないのかっていうふうに考えると、結局それはないんじゃないかって結論に、自分の中では落ち着いてるんですけど、結局、ひょうたんからでた駒みたいな感じが自分の中ではあって、やってるうちにできたみたいな。そういう感じなので、別にそれができるようになったかどうかは分からないですけど、自分の中である程度できるって思えるようになったときに、それは全然特別なことじゃないんだっていうのに気づけたって言うのが、ひとつ大きなことだと思います。どんな人も普通の人間で、ただ寝て起きて食べて生きてるって言うことなんだって分かったのが、ひとつ大人になったかなと。

T:なるほど。で、話が戻るんですけど、高校1年でバンドを解散して、何か始めたことってありますか?

Y:資格試験始めたんですよ。


T:それはどういう?

Y:法律関係の資格試験を受けようと思って。やっぱり何か焦ってたと思うんですよね。大学普通に入って、それで卒業してどうするの?っていうのがあったので、何かひとつ手に食をつけたいと思って。


T:それは高校?

Y:2、3年ですね。

T:資格試験って色々ありますよね?

Y:はい、ちょっとそれ言うの恥ずかしいので言わなくていいです(笑)。結構、難しい試験を受けようと思って。予備校通って。


T:それは国家試験ですか?

Y:国家試験ですね。やってたんですけど、一言で言うと、エヴァ世代の若者で言うと、打たれ弱いみたいな人間だったと思うんですよね。それも結局挫折しちゃって、その挫折体験って言うのはいまだに多分私の中で深い傷として残ってるんですけど、結局私はなにも続けられないんだってところで一回すごく挫折した。


T:国家試験って言うのはだいたいどれくらい勉強してどういうタイミングで受けるものなんですか?

Y:大体2年くらい勉強して授業が一回りする。

T:2年間授業があるわけですね。

Y:そうですね、私は通信で予備校にいってたんですけど、そこから勉強して受かる人は受かるし受からない人は何年何年っていうかんじでやってく試験だったので。


T:何の試験受けたかって言うのは・・・

Y:内緒で(笑)


T:結構、涙涙の?

Y:っていうか、ほんとに、ちょっと顔向けできないって言う感じになっちゃうんで(笑)

T:(笑)

Y:それが大学一年くらいまでやってたんですけど、大学一年で結構大きなターニングポイントがあって。で、私のやりたいことはこれじゃないって気づいちゃったんですよね。

T:なるほど。よほどその試験の件は衝撃なんですね。

Y:そうですね、でも結果的に音楽も私にとっては、その頃はそういう衝撃と同じで、一度自分は挫折したって言うカテゴリーのなかにあったものなので、4年間触れたくなかったと思うんですよ。だけどそれをもう一回始めてある程度達成、というか自分の納得いくものができるようになったってところで心理的外傷がだいぶ癒されて、今こうやってお話できるんだと思います。


T:なるほど。

Y:その2つは結構衝撃でしたね。だから自分は結局何もできないんじゃないかっていう衝撃って言うのは大きかったですね。なんかこうやって話してると、ルサンチマンだらけの人生みたいな気がしてくるんですけど。(笑)


T:(笑)他に趣味とかは?

Y:中学校からすごく読書が好きになって


T:どの辺りを読んでましたか?

Y:ほんとに色々。小説も読みましたし、あとエッセイとか。高校くらいまでは普通に読書好きっていう感じでしたね、授業中に。


T:和洋ジャンルを問わずに?

Y:そうですね。読書家って言えるほどではなかったと思うんですけど。


T:本読むのは早いですか?

Y:早いです。それはでも、大学生のときに研究をしてると大量の文献を読まなくちゃいけないので、早く読む癖がついちゃったって言ったほうがいいかも。


T:研究っていうのは大学から始めたんですか?

Y:ちゃんと始めたのは大学4年の卒論からから大学院2年まで。


T:大学入って何を勉強したい、と?

Y:日本文学を研究したいっていうことで日本文学科に入ったんですけど、最後まで児童学科とどっちに行こうっていうのをすごく迷って。内部進学だったので選べたんですけど。子供の教育とかにすごく興味があって、結局教職はとることになるんですけど。そういうところにいくか文学に行くか。で文学をやるとしたら西洋的なものが好きだったので、そういうものができればやりたい、けど語学をやるのは手間でいやなので、日本文学で近代だったら西洋的なものが入ってきてるのでいいかなと思って日本文学科に行きましたね。

T:なるほど。そこでまず取ったのは?

Y:1,2年生の間は教養科目が多いので、普通に必修。あとは自分の好きな科目が選べるんですけど、やっぱり児童学科の授業を取ってましたね結構。


T:なぜそれを?

Y:子供の教育って言うのは芸術に通じるところがあると思うんですよね。子供の創造力とかそういうものに興味があった。


T:授業は、どういうことやるんですか?

Y:大学の授業は普通に講義聴いて、テストやってっていう感じなんですけど、3年生から予備ゼミって言うのが入ってきて、自分が何をやりたいかっていうのをだんだん決めていかなきゃいけないので、そこで専攻も決める。


T:実習で子供と対峙した時に世代は違いますが。。。

Y:あ、教育実習のことですか?そうですね、違いますね、かなり。


T:自身が大人という事を感じますか?

Y:そうですね、大人になっちゃってるなと。彼女たちから見ればほんとお姉さんっていう感じになってしまうので。逆にそういう子たちと接することで大人にしてもらったのかなと。今でも仲良くしてる子もいます。


T:なるほど。話は戻りますが、日本文学に関して好きな作家は?

Y:夏目漱石はすごく好きですね、何度読んでも新しい発見がありますし。あと・・・作家でこの人が好きってすごく難しくて。この人のこういう部分はすごくいいなと思ってもこういう部分はちょっとなとか。それよりは詩が好きで、私が大学4年から研究してたのは中原中也っていう有名な日本の詩人なんですけど、中原中也の詩はすごく好きですね。


T:それは昔から?

Y:いや、大学入ってからですごく遅かったんですけど、偶然図書館で名前はよく聞くなっておもって手にとって読んでみて。研究しようと思った動機もすごく不純で、生きてる間に2冊しか詩集がでてないので、先行研究も少ないのかもしれないっていう軽い動機で選んだら、すごい数の先行研究があって結果的には苦労したんですけど。でもそういうのも結局、今やってることにつながってるなって思いますね。でまあ大学2年からまたバンドを始めて、ジギタリスに入ってくるんですけど。


T:音楽を再び始めるきっかけみたいなものって、何かあったんですか?

Y:大学1年生の頃にすごく鬱々としてしまったというか、自分がやりたいのはこの資格試験じゃないんだって気づいたんですよね。生きてて、お金を稼いで、それで私は幸せに生きていけるのかって考えたときにそっからはみ出してきちゃう部分があって、もう一回音楽をやりたいっておもった。そこでちょうどサークルで一緒の人と音楽の趣味がすごく合って、私は他の大学のサークルに行ってたんですけど、そこで意気投合したギターの人と一緒にバンドやろうかって言うことになってジギタリスを結成した。で、彼が自分の後輩だよって連れてきてくれたのが、今もいるドラムとベース。そのギターの彼は一年くらいでやめちゃったんですけど、ドラムとベースが残ってくれてラッキーみたいな(笑)。


T:自分でドラム叩こうとかそういうのはなかった?

Y:ソロのほうでは、今も叩いたりしてるんですけど、やっぱり叩きながら歌うのは、ちょっと無理なので。歌いたいなって言うのが大きかったですね。


T:叩きながら歌う人もいますよね?

Y:うん、ソロではたたきながら歌ったりもしてるんですけど。やっぱりすごく複雑なビートをたたきながら歌うってのは難しいと思いますよ。簡単なエイトビートとかだったらできますけど。

T:なるほど。ジギタリスですが、まずギターの人とどんなサウンドをやろうと?

Y:最初は、私はとにかく詩を書きたいと。音楽をもう一回やりたいって思ったきっかけも、自分が詩で食べていきたいって思ったんですよね。大学1年生のときからもう一回詩を書き始めたんですよ。で、自もがすごくつらくなってしまったときに詩をブログに書いたりして、誰に公開するものではなかったんですけど、それで自分の気持ちが楽になったりする部分があって。あとは詩を読むようになってきたってところから、詩で何かできたらいいなと。でも現代の世の中って若い人はみんな詩を読まないですし、それで食べていくのはちょっと難しいだろうと。詩で一番人に伝えていくには何がいいのかって考えたときに、音楽だと。それでもう一回音楽を始めようと思った。なので詩が先にあった。私が詩を書きたいといったら、彼は曲を作りたいのでって話でバンドがスタートした。「曲かけるんでしょ?何か書いてみてよ」って言われて書いてきたら、なんかいいじゃん、ってことになって私の曲をやるようになった。

T:曲を書くときってどういう状態?譜面は書きますか?

Y:譜面は使わないで、私の場合は鼻歌って言うかメロディーが出てくることが多いので、それを録音しておいてそこにコードを当てていく方法とか、割とこのコードがいいなって思ってそれにつけていったり、たとえばバンドでスタジオ入ってるときにこの人がやってたリフがいいから、ちょっとそれを回してそこに歌を当てたりとか、色々なタイプの作り方はあると思うんですけど。基本的にはメロが一番先に来ますね。メロと言葉の断片が一緒に出てきて。


T:ジギタリスを始めたとき、好きなバンドは?

Y:そのとき好きだったのは、Bump of Chicken が高校生のときにすごく好きになったので、音楽聴かない時期にも珍しく聞いてた。あとCocco、椎名林檎さんとか、いわゆるその時期流行ってた音楽は聴いてたと思います。サウンドイメージは、私はとにかく詩を書きたいって言うのが先にあったので、当初はなかったんですよね、そんなに。だから自分が曲を書いていく過程で、こういうことがやりたいんだっていうのが明らかになってきたっていうかんじです。

T:詩に関して、伝えたい部分は、どういうところに?

Y:まず最初にお話しておかなきゃいけないのは、最初に考えてたことと今書いてる詩は全然別のもので、最初にどういうものをやりたかったかっていうと、たとえばよく流れてる「あなたが好き」とか「頑張っていこう」とかそういうところに収まりきらないものがあると思うんですよね。矛盾だったりとか・・・なぜここにいるのかとか、そういうポピュラーミュージックにはないようなところをやっていきたいっていうのがあって。ジギタリスっていうバンド名自体が、ジギタリスって花が毒にもなるし薬にもなるってこととか、花言葉が熱愛と不誠実。だから最初、“矛盾”っていうものをテーマにしたバンドをやりたいと思った。一筋縄ではいかない心の多面的な部分っていうものを出していきたいと思って、ジギタリスっていうバンドを始めたんです。

T:なるほど。最初に書いた詩って音源になってるんですか?

Y:なってないかなぁ・・・2曲くらい最初書いて、でもそれ一回捨てたんですよね。もうちょっとこういうのがやりたいっていって書いてきた曲があったんですけどそれは音源にはなってない。音源になってる中で一番古い曲は「光零す雲間」っていう曲が1stに入ってるんですけど、それが一番古い曲だと思います。暗いんですけど。(笑)

T:2枚目になって西洋的なイメージがより強くなってると思うんですけど。

Y:そうですね。


T:なぜ、そっちの方向に?

Y:大学院で勉強してきたことが多いと思うんですよね。大学院の2年間って言うのはすごく自分にとって大きくて、表現をしていく上でいろんなことを学んだ2年だった。1stは大学4年の終わりのときにリリースされて、大学2〜4年に作ったものの集大成だったんですけど、そこでやったものを通して、自分はこういうことをやりたいんだって、アルバムにまとまったときに気づいて2ndに続いていったんだと思います。2nd作ってる最中っていうのはちょうど大学院の1,2年だったんですけど、そこで専門的な研究をしてる人たちと授業の中で議論をしたり、あと図書館にすごくよく行くようになって、ユングとか神話学とかジョセフ・キャンベルの本を読むようになって、象徴とか神話とか心理学って言うものにすごく興味を惹かれるようになって。そこから詩人も中原中也からさかのぼっていく形で、リルケとかエミリー・リキンソンっていう西洋の詩人とかを好きになっていった。それが2ndには出てると思いますね。

T:ジョセフ・キャンベルですか。。なるほど。で、ギターの方が抜けてリズム隊が残りギター探しに?

Y:そうですね。うちは、ギター探しの旅で3,4年つぶしたようなもので。なかなかいいギターの人にめぐり合えなくて。結構5、6人入ったと思うんですけど、誰もしっくり来る人がいないなぁなんて思っていて。最後にたどり着いたのが、今いる永井っていうギター。彼になってからはすごくバンドのメンバーの関係も落ち着いて、平和に創作に打ち込めるようになった。

T:今のメンバーになった段階で、ライブは、どれくらい?

Y:うちはあまりライブの本数自体は多くないバンドなので、多くて月に2,3本。あとは月1くらいですね。


T:レコーディングする前のギターは?

Y:いや、1stはいなくて2ndからなんです。だから1枚目のアルバムに写ってるギタリストは違うんですけど。


T:なるほど。

Y:そうですね(笑)。今でも彼とは仲良くしてますけど。


T:最初、音源を録るって話をしたときにレーベルは? 今出てる音源より、古い音源ってあるんですか?

Y:デモ音源はありますね。4曲入りとか6曲入りの音源を2回くらいつくって、私相変わらず無謀だったので、ライブ出演するときにライブハウスに一発録りした音源をもってくものなんですよね。で、そのとき録ったものが結構よくできたから、ついでにいろんなレコード会社に送ってみようって初代ギターと話し合って適当にまいたんですよね。それで釣れた!みたいなレコード会社が、一枚目と二枚目を出したノンマニックレコードっていう会社。だから一回もライブやってないときから連絡をとりあっていたので、最初のライブから見てもらっていた。で、順調に音源を出してもらっていたっていう感じですね。

T:一番最初の音源を配布した?

Y:そうですね。(笑)


T:ライブ経験はなかった?

Y:なかったですね。でも返事が来たので、私プロの人に認めてもらえんじゃん!みたいなところでうれしかった。


T:それは今までの人生で割と嬉しいことになるんですよね?

Y:そのときに連絡が来たっていうのは、今まで音楽やってきた中で一番うれしかったことですね。いまでも、あれよりうれしかったことはまだない(笑)。


T:まだないですか(笑)

Y:まだないです。あれが一番嬉しかったですね。ギターから連絡がきて。今だったら違うって分かるんですけど、アマチュアで音楽やってると、レコード会社から連絡がきた=デビューみたいな感じがあるじゃないですか(笑)。そのときはまだ今のベースはいなかったんですどドラムはもういて、3人で「うれしすぎて頭がガンガンする」とか言って会話してたのを覚えてます。あのうれしさを味わってないベースは可哀そうだなと思いますね。あれはうれしかった。


T:音楽以外全部の人生を通しても?

Y:かなり嬉しかったことにランクインしますよ。情けないな、それ。


T:なるほど。達成感があったんですかね?

Y:というより、承認してもらえたっていうか。


T:自分のやっていることを認めてもらえた?

Y:そうですね。その喜びって言うのはありましたね。今でもそれだけでやっているようなものかもしれませんけどね。で、親にもう一回音楽やるなんていっても反対されてましたし。いまさらそんなことやってどうすんのよ、みたいな。始めた段階では趣味でっていう気持ちだったんですけど、始めてすぐそういう返事があったことでちょっと本気になった。


T:ご両親にはその音源は聞かせてなかった?

Y:母には聴かせてたんですけど、父に聞かせたのはごく最近で、今年に入ってから初めて自分がやってるのを聞かせたんですよね。

T:え?では、一枚目二枚目も聴かせたことなかった?

Y:なかったですね。


T:興味を持たれなかった?

Y:いや、バンドやってるってこと自体話してなかったので。なんとなく気づいてはいたんでしょうけどあんまり詳しく聞いて来なかったですし、私のほうも言わないって感じで。

T:なるほど、でもエヴァンゲリオンを観て勧める感じのお父様ですよね?

Y:変わってますね。つげ義春とか好きで、あと水木しげるとか。私の変わった趣味って父から来てると思いますね。だから幼心に、水木しげるの漫画読んで怖いなぁっておもったの覚えてますね。

T:そういう感覚をお持ちだと、ジギタリスの音楽は受け入れられるような気がするんですけど。

Y:そうですね、でも、父とは音楽の趣味がちょっと違うのでだめかなぁと思ってたんですけど、聴かせたら気に入ったみたいで、「ああ、そうなんですか」みたいな。ちょっと照れくさいですよね。(笑)

T:(笑)。で、この辺りで、PART2終了です。また次回、PART3、よろしくお願いいたします。

Y:よろしくお願いします。

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