ジギタリス/山本美禰子 (PART1)

これまでにアルバムを2枚発表。山本美禰子(やまもとみねこ)が創造する独特の世界観をロックに乗せて詠うジギタリス。
現在、待望の3rdアルバムをレコーディング中のジギタリス。その山本美禰子さんのロングインタビューです。そのPART1。


(2009年10月某日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 ジギタリス (山本美禰子)
 ロングインタビュー (PART1)

  Talk&Interview #82
 
  


    
 山本美禰子 ロングインタビュー (PART1)


TERA(以下:T):では、よろしくお願いします!


山本美禰子(以下:Y):よろしくお願いします!

T:まず、生まれた場所を教えてください。


Y:はい。生まれも育ちも、もうずっと東京で、新宿区から出たことはないですね。

T:いまも?


Y:新宿で。

T:生まれ育った?

Y:そうですね、2回くらい隣町とかで引越しはしてるんですけども、基本的にはずっと同じあたりで。

T:なるほど。ご兄弟は?


Y:私一人っ子で、兄弟いないんですよ。

T:そうなんですか、では、小さいころから一人遊び?


Y:あぁ、一人遊びは得意で結構色々想像しながら物語組み立てたりとか、っていうのは好きでしたね。

T:今でも残ってる一番古い記憶ってどの辺りですか?

Y:えっと、多分同じくらいの時期なんですけど、ひとつは入院した記憶っていうのがあって、高熱を出して入院したときの家族の記憶とか。あともういっこ一番古いと思うのは、幼稚園の入園式だったんですけど、桜がすごく綺麗で、あぁ桜ってすごく綺麗なんだなって思ったのが多分最初の記憶だと思います。

T:そのときの推定年齢はいくつくらい?


Y:3歳ですね。幼稚園入学したのが3歳になったばっかりだったと思うので。

T:桜が綺麗で?


Y:そうですね、桜が綺麗で。本当に桜が咲いていたのかちょっと気になってこないだみにいってみたんですけど、やっぱり記憶の通り幼稚園のグラウンドの真ん中に桜の木が一本あったので多分それはほんとのことだと思います。

T:幼稚園のころは、どんなお子さんだったんですか?

Y:とにかくすごい暴れてましたね。笑。元気がよかったので。まぁとにかく、男の子と喧嘩したりとか。あと、音楽はね多分好きで、歌ってるビデオとか残ってますね。ちっちゃいときの。

T:何を歌ってる?


Y:中森明菜とか。

T:フリあり?


Y:多分フリありだったと思います。ちょっとそこははっきりしないんですけど踊りもすきでしたね。

T:それは、テレビを見て真似てる?


Y:そうですね、もう、私の家はまったくそういう芸術的な素地がない家で、父も母もいたって普通の人ですし。まぁ父はちょっと音楽好きだったかなっていう感じなんですけど、基本的にはテレビ見ながら放置されて育ったので、あの、まぁ、テレビを見てそのまねをしたりっていうかんじでしたね。

T:なるほど。小学校入る頃の記憶は?

Y:小学校は受験をしたんですよね。で、結局そこではいった女子高に大学院まで行ってしまったっていう感じなので。まぁ小学校受験の思い出とか結構たくさんありますね。

T:小学校の受験ってどんな試験を受けるんですか?


Y:えっと、テープでだーっと物語が流れてきて、今の話の中にはどんぐりが何個出てきたでしょうとか、その数を3つだったら丸をその数分かいてくださいとか、あとまあ簡単なプリントテストとか、積み木のテスト、積み木が絵で書いてあって、いくつありますかとか、あとまあ面接ですね。

T:面接ではどういうこと聞かれるんですか?


Y:好きな食べ物は何ですかとか。

T:インタビューみたいですね。


Y:ええ、いまのこういう感じできかれて。で、父と母がいて、3人で答えるっていう感じなんですけど。もうそのころから、今思えば、あ、何かこういうふうに言えばいいんだなっていうのは考えてたいやな子供だったんですよね。だからなんか、幼稚園くらいからですかね、やっぱり大人ってなんか違うってちょっとずつ思いだしてきたっていうか、なんかおかしいなって思うことがちょっとずつ増えてきたのかなっておもうんですけど。

T:その、大人のなんか違うっていうのは、何が違うって感じ?


Y:まあだから、すごく子供のころって親が自分にとっての全てで、価値観の全てだしってところで尊敬して頼って生きてたと思うんですけど、幼稚園に入ったことによって社会ってものにちょっとずつ自分が溶け込むようになって、結構そこからは私、自分では大変だったんですね。親が私のことを自由奔放に育ててたので、小学校になって、厳しいとこに入っちゃたので、なんていうんですかね、そことの間に違いが生じちゃったっていうか、自分はこれで正しいんだって思ってたことと社会一般の常識がかなり違う。だからその、言葉って言うのは一枚岩じゃなくてすごくいろんな意見とか、言葉で言ってることが全てじゃないんだって言うのは、だいたいそれくらいのときに分かってきたとおもうし、まぁそれは皆さんもそれくらいのときに分かりだすことなのかなと思うんですけど。

T:なるほど。幼稚園の時って絵とか書くじゃないですか。

Y:はいはい。

T:なんか憶えてます?


Y:下手でしたよ。笑。

T:どんな絵、描いてました?


Y:あぁ、憶えてますね。普通に女の子の絵とか書いてたんですけど、私、基本的に小学校に上がってすぐくらいまでは割りと多動児的なところがあって、じっとしてるのがそんなに好きじゃなかったんですよね。だから遊ぶにしてもリカちゃん人形とかだいっ嫌いで、自分でおままごとしたりとかいうのはすきだったんですけど、割とこういうちくちくした作業がすきじゃなくて、お絵かきっていわれても書いてる途中で飽きちゃうんですよ。それは多分今音楽をやっていても通じるところがあると思うんですけど。で、なので、友達が女の子の口をかくときに、私はリアルに口をかいていたんですけど、その子は三角の口をかいていたんですね。下向きの三角の。で、なんか笑ってるように見えるじゃないですか。それちょっと衝撃だったのを覚えてますね。あ、絵がうまいって結局デフォルメするってことなんだなぁとおもいましたね。

T:写実的な絵は、その時に否定された?


Y:そうですね。こっちのほうが喜ばれるんだなぁと思いましたね。

T:漫画は読んでました?


Y:読んでました。「あさりちゃん」とか全巻持ってましたね。

T:小学校?


Y:小学校ですね。

T:あと、どんな漫画読んでました?


Y:あとは、えっとでも「ガラスの仮面」とか読んでましたし、後は普通に少女マンガは結構好きでしたね、ファンタジーとか。逆に小さいときは本を全然読まない子で、嫌いでしたね。

T:なるほど。ゲームってあった世代ですよね?


Y:ありましたね。もうファミコンとかがあって男の子がやってたりとか、友達のおうちにいったときにちょっとやらせてもらう程度で、自分ではゲームボーイくらいはもってたんですけど、まだこんなお弁当箱くらいおっきいやつで。「カエルのために鐘はなる」っていうソフトは、すごいはまってなんどもやったんですけど。はい、それくらいですかね。

T:テレビは、どんなの見てました?小学校あたりは。

Y:どんなの見てたかなぁ。歌番組は大好きでしたね。とりあえず歌謡曲の番組流してるとおとなしいって言うので、親がかけっぱなしにしてたっていうのは聞いたことがあるんですけども、自分で記憶してるのは、なんですかね、『東京ラブストーリー』とか。ほんとに何の面白みもない幼少期だとおもうんですけど、いわゆる普通の人がみるものをみて育ったと思いますね。

T:小学校って、何か担当みたいなのあるじゃないですか。

Y:委員とか?

T:ええ。何かやってました?

Y:美化委員みたいなのをやったと思いますね。であと中学校のときは文化祭の実行委員とかやってたんですけど、高校からぐれだしてというか、あんま委員とかやらなくなっちゃいましたね。

T:なるほど。


Y:小学校の時はあんまりいい思い出がないですね。

T:どんな思い出があるんですか?


Y:やっぱり厳しい学校だったので。

T:あ、公立ではないんですね。

Y:私立の女子高だったので、先生と馬があわなくて。

T:どんなところで?

Y:私は結構元気なタイプだったんですけれども、で多分ひとりっこのせいもあって、私自身があばれてたっていうのもあるんでしょうけど。あんまり人とあわせるのが得意じゃないって言うか、周りの兄弟がいる子はやっぱり要領がよくて、こうすればいいんだとか、先生が喜ぶということもわかってるんですけど、いまいちそういうところが見えないタイプで。ひとつのことに熱中しちゃうとまわりが見えなくなっちゃうところがあって、やっぱりそういうのを徹底的にやり込められたので、あまり小学校っていうのはいい思い出ではないですね。

T:いわゆる、私立の小学校と、公立の違いって?


Y:まぁ、私個人の場合で言うと女子しかいなかった。

T:あ、女子のみ?

Y:そうですね、女子校なのは、すごく大きかった。あとは、小学校からずっと制服があったんですよね。セーラー服をずっと小学校一年から着てたので。

T:男の子に背中にカエル入れられたりとかスカートめくりとかいう、ありがちな思い出はないわけですね。

Y:ないですね。

T:なるほど。

Y:そうですね、だから回りに身近に同年代の異性ってあんまりいなかったですね。

T:6年生まで?


Y:私大学院まで女子校だったので。

T:なるほど。極めてますね。

Y:極めちゃったんですよね。

T:男の子と遊んだ記憶っていうのは、小学校の時ないんですか?


Y:公園に行ったりして地元の子と鬼ごっこやったりとか、みんなでボール遊びした記憶はあるんですけど、親しくおうちに行ったり来たりして遊んだりとか、そういう記憶はないですね。

T:面白いですね。

Y:そうですね。

T:小学校の時の趣味、家では?

Y:とにかくじっとしてるのが嫌いだったので、割と体を動かしてましたね。外に行ったりとか、あと草とってきてすりつぶして草木染めしたりとか。そういうわりと自分の体を使ってやることが好きで、お絵かきとかお人形遊びとかはそんなに好きじゃなかったですね。

T:小学校の時って家からの行動範囲、そんなに広くないですよね?


Y:広くないですね、ほんとに半径200mくらい。

T:それを超えたことは? 旅行とか?


Y:旅行は行きましたし、あと小学校3,4年で一人で新宿に行って買い物したりとか。

T:何を買いにいったんですか?


Y:何買いにいったんだろう、そのとき。ひとつ覚えてるのは、母の誕生日にイヤリングを買いに伊勢丹に行ったのは覚えてますね。

T:あ、伊勢丹まで?


Y:はい、でも買えるものがなくて、どうしようみたいな思い出はあります。

T:それは最初の大きなプレゼントですか?


Y:多分そうかな。でもしょっちゅう、絵とか手紙とか書いて渡してたので。やっぱり自分と母が密接な関係にあったって言うのが、ひとつ大事な事だと思うんですよね、自分にとっては。母のことがすごく好きだったので、色々手紙とかかいてどうやったら喜んでくれるだろうっていうのが結構ありましたね。

T:今思うとですが。その存在は、普通一般の家族の関係と多少違うところがあったとか?


Y:と思いますね。それに気づいたのは、結構、最近で。

T:あ、最近ですか?


Y:はい。私の友達は女子校の子ばっかりなので、みんなそれぞれ自分のお母さんとか親とも関係って言うのは一般の人に比べると密接なのかなとおもうんですけど、それで気づきにくかった。

T:どういう感じで、一般的に異なるのですか?


Y:何でも話してましたし、そうですね、思春期まではほんとに母親大好きだったので、母子癒着じゃないですけどそういう感じだったかなと思います。割と父親の影が薄かったので、その分母親がって言うかんじ。そのアンバランスさって言うのが成長の中で、いい面でも悪い面でも影響したかなと思いますね。

T:たとえば小学校の時に出かけるっていうと、お父さんより、お母さんと一緒に?

Y:そうですね、幼稚園くらいまでは父とも出かけたりしてたんですけど、小学校に入ってからは母親と出かけることのほうがずっと多いですね。

T:なるほど。では、中学生になって、何か変わった出来事ってありますか?


Y:まず、思春期に入るって言う点で、眼鏡をかけたんですよね。

T:目が悪くなった?

Y:そうですね、小学校の終わりから悪くなって眼鏡をかけてたんですけど。

T:原因っていうのは?


Y:漫画の読みすぎですね。

T:そんなに読んでたんだ。


Y:バスとか電車の中で暗くなって漫画読んでたらすごい近視になっちゃって。今でもコンタクトなんですけど。で、中学校くらいになって自意識が芽生えてきたときに、「あ、私って可愛くないんだ」って思ったんですよ。その衝撃は中学校の時ありましたね。

T:衝撃ですか? 小学校までは、可愛いと?


Y:そう、親がすごい可愛い可愛いって言ってたので、そこに誤解があったってことに気付いて。

T:なるほど。


Y:子供だからみんな可愛いっていうじゃないですか。で、思春期に入ってきて、どうやらちょっとやばいぞと。

T:それって自分で?


Y:あとはまあ周りの反応もあったのかもしれないですけど。その時の写真を見ると自分でもこれはちょっと出せないなと。

T:思春期で、鏡を見始めたとかも?

Y:あ、でもそういうことだと思いますよ。女性としての自意識が芽生えてきた。

T:着る物とかも?


Y:そうですね。それくらいの年の子ってそうじゃないですか。

T:そうですね。


Y:あとは、小学校の終わりからミュージカルがすごく好きになって、お正月にテレビ番組でやってた子供向けのミュージカルがきっかけでそれを見て、歌とか踊りに対する興味が出た。で、小学校の高学年くらいからどうしても歌とか演技とかが習いたくて、劇団みたいなとこに入ったんですよね。

T:劇団?

Y:そうです、児童劇団。自分で探してきて。

T:何年生の時?


Y:小5くらい。

T:それは自分で応募して? それとも親に?

Y:いや、こういうのをやりたいっていって親に探してきてもらって、絶対やりたいっていう自分の意思で受けた。演技を習いたかったので、どこで習えばいいか分からないからそういうとこになったって言うだけで、具体的にお仕事をしていたわけではないです。ほんとレッスンにだけ通ってた。で、そこで歌をちゃんと習い始めたっていうのと、お芝居とダンスをやった。それが2〜3年年続いた。その間にも習いごとはたくさんしてたんですけど。

T:どんな習いごとですか?

Y:結構、やってますね。水泳とバレエ、あとジャズダンスも。

T:全部、小学校の時?


Y:はい、習いごとは結構たくさんやってましたね。ピアノもやってましたし。でもピアノは才能なかったですね、ほんとに。6年やってもバイエル終わらなかったし(笑)。でも楽譜は読めるようになったのはその時のおかげなので、今は役に立ってるんですけど。ピアノはちょっと苦手でした、バラバラした感じが。

T:たくさんですね。それってみんな、並行して、ダブってるんですか? 


Y:ダブってますね。学校おわったあとに行ったりとか。

T:とにかくこれがやりたいって言ったらすぐ始めるタイプ?


Y:はい、ですぐやめちゃう(笑)、根気がない。根気がないって言われ続けてウン十年。ほんと、続いてるのは音楽だけですね。

T:(笑)。なるほど。ミュージカルの話に戻るんですけど、発表の場ってあったんですか?

Y:とくに発表の場っていうのはなかったんですけど、レッスン上でその日やったことを一人ずつやってみるみたいな時に、うまく、とくに演技と歌は結構ほめてもらえたので、そのときに得た快感っていうのは一つ大きなものがあったっていうのと、あと小学校で学芸会があったんですけどそこで結構いい役をもらって歌って踊ってってことをやった。

T:どんな舞台だったんですか?

Y:「狐のお客様」っていう子供用の劇なんですけど。

T:どんな役だったんですか?

Y:ひよこの役ですね。

T:いい役だった?


Y:2番目位にいい役で。

T:どんな話なんですか?


Y:意地悪な狐がいるんですけど、それがほんとはいいやつで、周りの動物を助けて自分は最後犠牲になって死んじゃう。

T:死んじゃう役?


Y:あ、狐はね。私は、森のひよこの役だったので。

T:可愛らしい役ですね。


Y:はい。今でもまだ歌覚えてますね。

T:どんな歌なんですか?


Y:♪すみれ〜たんぽぽ〜れんげそう〜いろんな種類の〜♪みたいな。

T:すごい!平和ですね(笑)。衣装はどんな感じに?


Y:ひよこみたいな(笑)黄色い全身タイツみたいなのを着て。

T:シンプルに、ひよこ?


Y:はい、ひよこです、みたいな。歌うひよこ、しゃべるひよこ。やだな、ヒヨコが原点みたいな。あと、小学校の時演劇部に入ってたんですよ、私。

T:(笑)。どんな役やったんですか、他には?

Y:他には学校ものをやったりとか、おサルのお役もやりました。

T:どんなおサル? もしかして、シンプルに?

Y:はい、ウキウキ言ってる(笑)。

T:(笑)。歌は歌わない?


Y:演劇部だったので、歌は歌わずにただウキウキ言ってる。

T:どんな衣装?


Y:茶色い(笑)シンプルに、おサル。あとは、じゅげむじゅげむ全部暗記したりとか。

T:すごいですね。


Y:今でも多分いえますね。そういう風に考えると、小学校の高学年くらいから、今につながってくるような下地をつくりだしたのかと。

T:そうかもですね。その時、演劇をやりたかったっていうのは、自分が、なにか違うものになりたいとか、何かの欲求ですかね?

Y:欲求、それは大きいと思いますね。何かを演じるということに対する憧れとか、単純に人の前に立つことの快感をそのときに覚えたんだと思います。

T:ステージに?


Y:そうですね。あとは単純に面白がってくれるとうれしいって言うのがあって、それは今も続いている感情なんですけど。面白がらせたいって言う気持ちですね、それは強かったと思います。

T:エンターテイナー的な?

Y:うん、そういう気持ちから始まったのかなと。ただ演劇は中学校くらいまでは興味があって自分でもどっちに行こうかなってところはあったんですが、やっぱり人が書いた脚本でやらなきゃいけないっていうのがいやだったんですよね。

T:自分でも書いたりしたんですか?


Y:短編小説とか何本か書いたりしましたよ。

T:それはいつくらい?


Y:中2,3ですね。

T:それは戯曲じゃなくて小説?


Y:戯曲形式でも何本か書いたと思います。そんなに独創性のあるものではなかったと思いますけど。

T:どんなもの書いたか覚えてます?


Y:自分と同い年くらい、14歳くらいの子が主人公の話を書いたなとは漠然とは覚えてるんですが、具体的には忘れちゃいましたね。

T:14歳といえば。エヴァンゲリオンは見てました?

Y:そうですね、まさにエヴァがやり終わって再放送で夏休みにまとめて放送してたときがあったんですけど、ちょうど14歳のときだったんですよね。14歳から15歳になるときの日記に「15歳になるとエヴァンゲリオンに乗れなくなる」って書いたのを覚えてるんで、まさにリアルタイムで見てたなと思いますね。

T:どこがよかったですか、最初見たとき?


Y:暗さですかね(笑)

T:暗かったですか?


Y:やっぱり暗い。それまで私が見ていたようなアニメにはなかったような暗さがあったので。私より先に父が見てたんですよね。それで父が面白いよ、って。ちょうどやっぱり中学2,3年のことから色々悩みだすようになって、そのときの薄暗い気持ちとマッチしてた部分はあるのかなとは思いますね。

T:中学の時の悩みは、さっき言ってた「私は可愛くない」っていう衝撃の発見と、あとは何があったんですか?

Y:あと、自分が特別な人間じゃないってことに対するショックがあったんですよね。すごく狭い世界の中で生きていて、すごく恵まれた環境だったと思うんですよね。その中で、親にすごく特別に、一人っ子だったので、可愛がられすぎたことによって、自分が特別なんじゃないかって気がしてたんですよね。でも中学に入って周りが見えてきて、女性としての意識でまず挫折したってことによって自分のアイデンティティがどこにあるのか分からなくなってしまった。それまでは親に認めてもらえれば、褒めてもらいたいっていうのが一番だったのが、思春期になって外に目が向いてきて、そうじゃないって、まぁ遅いほうだと思うんですけど、なってきたときに、自分が自分であることをどういう風に認識していいか分からなくなってしまったんですよね。だからそれで演劇やってみたりとか、音楽もそれくらいから始めたんですけど、あと文章かいてみたりとか。自己表現を模索しだしたのはその時期だと思いますね。

T:他には?


Y:そうですね、人との関係をうまく築けないみたいなのはありました。

T:学校で?

Y:学校の中ですね、主に。女子校だったっていうのもありますし、小さいときから女性同士の中である、いやなことっていうのには触れてきたほうだと思うんですよね。いがみ合いだったりとかいじめとかっていうのもあって。人のことをうまく信用できないって言うのはありましたね。それは今でもあると思いますね。

T:それは例えば、何か大きな事件だとか、何か裏切られた思い出とかあるんですか?


Y:ありますね、ちょうどその時期に自分の身近な人に大きく裏切られたっていう事件があって、それでガンと暗くなったっていうのが中学3年くらいだったと思います。その頃から詩を書くようになったとおもうんですよね。だから表現に対する初期衝動でいえば、私は結構ネガティブなところから入っていて、思春期にもてあましてる自分って何なんだろうとか、あとは自分はなんでここにいるんだろうとか、自分の現存在に対する否定的なところを、どうゼロに戻していくかっていうところから表現がスタートして、その手段が詩だったりっていうところから始まってますね。

T:その時、未来にいく衝動か、過去に行く衝動か、どちらが大きかったですか?この時代に戻りたいとか、もっと大人になってこうなりたいとか?

Y:早く大人になりたかったですね。自分が若いってことが不便だと思ってたので。中3くらいからおしゃれするようになって、大人っぽく見えるような格好とかしてたので。やっぱり若いがゆえにできないことの多さに辟易としていたので、大人になって今はよかったなと思いますし、その頃に戻りたいとは思わないですね、全然。

T:高校入る頃は、何かありました?


Y:中学3年の時に色々いやなことがあってそういうのを引きずりつつも、高校に入ってからは遊びでドラムを始めたんですよね。中学校のときから部活ではちょっとやってたんですけど、ほんとにバンドを組んで友達と一緒に部活でドラムを始めて、それと同時に自分でバンドを始めた。そこで初めてボーカルとして、ちゃんと自分で作詞作曲するバンドを高1の時に始めたんですよ。

T:なるほど。この辺りで、PART1が終了です。


Y:はい。

END>>>

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