井沢彩萌(PART1)

2009年初夏、3曲入りシングルCD「a」をリリースしたばかりのシンガーソングライター井沢彩萌さんのロングインタビュー。
そのPART1。


(2009年7月某日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 井沢彩萌 (AYAME IZAWA)
 ロングインタビュー (PART1)

  Talk&Interview #79
 
  


    
 井沢彩萌 ロングインタビュー (PART1)


T:TERA(以下:T):よろしくお願いします。

井沢彩萌(以下:I):よろしくお願いします。

T:まず生まれた場所を教えてください。

I:京都です。

T:京都のどの辺ですか?

I:京都の、大阪よりの京都で母方の実家がそこにあるので、そこの近くの病院で産まれました。駅で言うと京阪の、八幡とか。分かります?

T:?(笑)

I:分かりませんか(笑)枚方パークあるじゃないですか、あれは限りなく京都に近い大阪府で、そこの延長ラインで結構近いです。

T:なるほど。ご兄弟は?

I:兄が一人います。


T:小さい頃一緒に遊んだりとか?

I:そうですね、ずっと一緒でしたね。仲良かったですね。

T:一番昔の記憶はどの辺からですか?

I:私すっごい記憶あります。

T:何歳ぐらいですか?

I:うーん、二歳三歳くらいからありますね。

T:何やってた記憶ですか?

I:ひたすら遊んで、わんぱくな感じでしたね。おてんばっていうのかな。

T:何して遊んでいたんですか?

I:自然の中を駆け回っている感じですね。木登りしたり、兄について回る感じの子でしたね。


T:家の近くに遊ぶ場所が?

I:家の近くですね。


T:幼稚園の頃はどんな遊びしてました?

I:幼稚園の時は、何やろ、おままごともよくしたけど、家に帰れば、家に帰って荷物置いた途端、外で鬼ごっこ、木登り、田んぼ行って泥んこになるとか。結構危険な感じで、工事現場の中で遊ぶのも凄い好きで。誰も使ってない家とか侵入して何か漁ってるのが好きでしたね。


T:不法侵入ですか。

I:そうですね(笑)


T:小学校入って何か始めたこととかありますか?

I:小学校入って始めたこと…一輪車とか。

T:何年生の時からですか?

I:小学校一年生のクリスマスにサンタさんにもらって、もらった日から練習で遊んで、どこ行くのも一輪車みたいな生活でしたね。とりあえず、スポーツとか体動かすことが好きだったんで。


T:勉強は何が好きだったんですか?

I:勉強はね、意外と何でも好きでした。

T:音楽とか聴いたりとか?

I:うん、よくしてましたね。


T:一番最初に聴いた曲はどんな音楽ですか?

I:たぶん、モーツァルトですね。


T:クラシックですか?

I:クラシック音楽ですね。小さい時クラシック音楽ばっかり聴いてました。


T:それは親の影響?

I:親の影響ですね。父親がすごくクラシック音楽が好きだったので。朝からかかってる、みたいな感じでした。


T:楽器とかは?

I:楽器は、すごいちっちゃいおもちゃのピアノが家にあったので、そのピアノを弾いて勝手に遊んでましたね。本当にちっちゃい、二、三歳くらいの時から、そのピンクのちゃっちいピアノだったんですけど。それで遊んでる様子を親が見て「ピアノをこの子にあげた方がいいんじゃないか」ということで、祖母の家に凄い古い誰も使っていないピアノがあったので、それを家に持ってきて、それを弾くようになって、って感じですね。


T:最初はもう見よう見まねで?

I:そうですね。ねこふんじゃった、とかよくある…。

T:習おうとは思わなかったんですか?

I:習いたい、って言ったのか言わなかったのかわかんないけど。そのとき和歌山に住んでたんですよ。和歌山の田辺で、近くに、といっても子供の記憶では結構遠いんですけど、田んぼを何個か越えて、そこにピアノの先生がいて、四歳くらいから一年半くらいかな、そこで習ったのは。

T:他に趣味とかありましたか?小学校の頃ですが。

I:小学校の頃の趣味…。

T:音楽以外で、ピアノ弾く以外で何かやってましたか?

I:やってたことは色々あるけど…。絵を描いたり、書道、字を書いたりとか、水泳も凄い好きでしたね。 習い事をいっぱいやらせてもらってたような気がします。月曜日はどこ行って、火曜日はあれ行って、とか…。遊びも目一杯、習い事も目一杯、一日二十四時間じゃ足りないってよく言ってた気がします。

T:テレビとか見てました?

I:テレビはすごい見てましたね。


T:どんなの見てました?

I:アニメですねやっぱり。だけど兄がいたから、兄の見るものを見るから、女の子が見るようなものじゃなくて、例えば、ドラゴンボールが大好きだったり、格闘系の、今で言うと筋肉番付みたいなのとか。あとキン肉マンの再放送とか…。ま、ドラえもんは毎週金曜日欠かさず見てました。


T:そんなにその、普通にですよね。

I:普通ですね。テレビ見る時間も「一日何分まで」って、父親があまりテレビ好きな人じゃなかったから、決められてて、そんなにテレビ漬けではなかったかな。でもなんかませてたから、テレビでやってる洋画とかを見るのはすごい好きでしたね。お前は見ちゃいけないとか言われてたけど。あとドリフが好きでした。ダイジョーブダ!とか。志村けんさんの良く見てましたね。


T:割とテレビっ子でした?

I:ちっちゃい時はテレビっ子だった気がします。


T:上級生になって部活とかなかったんですか?

I:部活は、それこそ全部運動系でしたね。卓球部と、バトミントンと一輪車、をやってたかな。小学校のときはね。


T:ピアノも続けてた、ってことですか?

I:ピアノは神戸に移ったときに、ちょっと習わせてもらったんですけど、先生がレッスンにすごい厳しい人だったんで、私は外で遊んでばっかりで練習をしなかったから。でもそれなりに指は動く子だったから、「もっと出来るでしょ」みたいな感じで。レッスン行ったら怒られてしごかれて帰ってくる感じだったから、自分の中で「何か違う」みたいな感じになって、これだったら自分で好きなように弾いてた方がいい、みたいなって。夏になってプールで一日中泳いだ後に行った時があって、その時体がめっちゃひりひりしてたんですよ。そのときピアノ弾いてたら、特に何も考えてないんでしょうけど肩を叩かれたんですよね。すごい痛くて!その日帰って親に「もうやめさせて」って言って、それっきり、って感じですね。だからあんまりその、クラシックを聞いてやってたけど長続きしなかったですね。

T:自分で歌を歌ったりとかは?特に習ってたというわけでなく?

I:歌は始終、歌ってた。別に習っていたわけではないけど。

T:どんな人のを歌ってたんですか?

I:どんな人の歌でしょうね…。ユーミンとか、そのとき流行ってた歌ですかね。 私小学校のときに高学年になって安室ちゃんブームが来てみんな「安室ちゃん安室ちゃん」言っててそれとか。小室サウンドの時代ですよね。その小室サウンドを歌って、踊ってみたいな感じでしたね。


T:CDとかも買ったりしてたんですか?

I:あ、してましたね。

T:何買いました?一番最初。

I:一番最初は、すごい変なんですけど、西田ひかるさんのCD買いました。そのとき習ってた絵の男の先生が西田ひかるがすごい好きな人で、よく西田ひかるの話をしてて、どんなひとなんだろうと思ってそれで買った気がします。


T:シングル?

I:いやアルバム買いましたね。すごいなんかレアなんでしょうね、あんまり買わないですよね。小学生が西田ひかるは(笑)


T:小学生ではどうでしょうね。そのあと買ったCDあります?

I:ドリカム、とかサザンとか、ベタな感じですよね。私小学校の時は洋楽とかほとんど聞けてないから…。そういうのとか小室サウンドとか。でもドリカムが一番全部買ってたような気がします。兄も好きだったから。

T:ライブとかは?

I:ライブは小学校のときは行ってないかな。でもライブDVD…そのときはビデオだったかな…ライブビデオとか買って見てましたね。ユーミンも聴いてたかな。


T:ゲーム世代でもありますよね?

I:うん、ゲームもしてましたね。


T:ゲームは何やってたんですか?

I:スーパーファミコンの時代かな。スーパーファミコンで私はマリオカートがすごい好きでやってましたね。やっぱり子供の頃の話をすると兄が出てくるんですけど、兄が買って持っててやってるから、私もやりたいみたいな感じで。

T:中学校ではどんな生活でしたか?

I:中学校は私、私立に行ったんですよ。受験して。今でもそうなんでしょうけど関西のいわゆる私立女子高の、キリスト教で、結構個性的な感じの人が集まって、お嬢様学校ですよね。私は受験するときに、京都の共学の学校か、神戸のそこの学校かどっちか行きたいと思ってて、どっちも受験日が違ったから受験して、親には「あんたは性格的に男の子がいないと」って共学に行きなさいって言われたんですけど、私はそのころ男の子は幼いなあってすごいませてて、だから女の子の学校がいいって言って、その神戸の学校に行ったけど、合わなかったんですよね。それは入学式のときに空気で悟ってしまって。「私間違えた」みたいな感じになって、そっから結構病んでいきましたね。合わせて合わせてしてたけど、性格がそんな暗い性格じゃなかったから、みんなとは仲良くやってたけど、いつもこの人たちとは違うって感覚があって、だからもろに体にそれが来てて。どんどん体重も落ちるし元気もだんだんなくなってくるし、休みの日もクラスメイトと遊んだことたぶんなかったですね。

T:病気っぽくはならなかった?

I:なりました。もろ病気でした(笑)


T:どういう症状が出たんですか?

I:始めパニック障害みたいなのになって、どこにいてても急に泣いてパニックなってどうしたらいいかわからん、てやつなんですけど。それから神経系の病気になっていって。一年間は頑張って行ってたけど、担任からも「最近元気ないけど大丈夫ですか?」って親にも連絡が行ってて、私悩み事とか苦しいこととかをあまり人に言わない子だったんで、親にも「元気よ」って言ってたけど、ある日親に「もう学校行かなくていいよ」って言われたんですよ。「そんな苦しいんだったら行かなくていいよ」って言われて。

T:それ何年生の時ですか?

I:一年生の終わりですね。そのとき既に十キロくらい落ちてたんですよ。ご飯食べても食べても痩せちゃう、みたいな感じで。
考えすぎて頭痛くて。そしたら、学校行かなくていいよって言われた次の日から本当に行けなくなっちゃって。不登校って言葉もそのとき出てきた時代だったと思うんですけど。いわゆる不登校児になったんだと思います。


T:家でひきこもりですか?

I:うん、ひきこもりやと思います。


T:家では何をしてたんですか?

I:各神経も感受性もめいっぱいに開いちゃってて、音も全部自分に刺さってくる気がして聴けなくて、音楽もぱったり聴かなくなって。でも何にもせず過ごしてて、自分の存在価値がなくなりそうで嫌やったから、だから料理をしようって思ったんですね。家族がいるからみんなのためにもなるし、料理作ってるときに無になる感覚が自分にとって必要だったみたいで、すごい家の中で料理ばっかしてたような気がします。


T:学校はあんまり行かなかった?

I:頑張って行ったりする日もあったけど、あんまりその空間に長くいられなくて、教室に入っても何限目でもうギブアップ、みたいな感じで保健室行っちゃったりとか。その学校は中学校、高校、大学、大学院と繋がってて、大学と大学院の心理学科の先生とすごい仲良くなって、中学校に行かないで大学の講義室にいたりとか研究室に行ったりとかしてその人と話してたり。アメリカから来た英語の先生と個人的にすごく仲良くなって、私英語がすごく好きやったから彼女も英語しか喋れなかったけど、よく研究室行ったり、彼女の泊まっているところにお邪魔させてもらったりとか、そんな感じでしたね。

T:変わってきた時期っていうのはいつ頃?

I:14歳の時にニュージーランドに行ったんですよ。私がこんなにしんどいのは日本の社会のせいやなと思って。とりあえず教育がゆっくりしている国に行って、のんびりしたら自分も変われるって思って、留学機関の資料全部集めて。教育のこと調べるとニュージーランドが一番良かったんですね。で、親にちょっとだけニュージーランド行かせて欲しい、って言って。かなりパニック障害もあったし自律神経おかしかったけど、うちの親なんか勇敢で「いいよ、行っておいで」みたいな感じで言ってくれて。籍は日本の学校にありながら、ニュージーランドに一人で行ったんですよね。

T:行ってまず何をしたんですか?

I:行って、語学学校に入ったんですよ。オークランドへいってキウイ語学学校ってところに入って。ニュージーランドでホームステイさせてもらってたお家は、ご飯とかなかったから自分で全部用意してバス乗って語学学校行って、一か月半くらいそうやってオークランドで過ごして、完璧にリラックスしたゆっくりとした時間ですよね。


T:なるほど。日本にはもう帰りたくない感じだったんですか?

I:でも14歳だったから、親が恋しいっていうのもあったけど、全く帰りたくないわけではなかったけど。ここにもうちょっと居れたら変わるかなって思った時に、もう帰らなくちゃいけなくて。


T:帰って日本どうでした?

I:日本は…なんかショックみたいな感じでしたね。あ、また戻ってきた…みたいな感じで。はあー、って。空気重たいなあみたいな感じでしたね。とりあえず生きにくかったんですよ。


T:学校?

I:学校というか…

T:日本?

I:すごい圧力を感じてた気がします。

T:何なんでしょうね?

I:何なんでしょうねー。私、
今より全然将来のこと、いい意味で遠くを見てちょっと絶望してたみたいな感覚ありましたね。その学校が、いい学校出ていいとこに入っていい結婚をする、みたいなのがみんなの目指してるところだったけど。私は全然違う、自分にしか出来ないことをしたい、と思ってたから、ここは私の居場所じゃないっていう気持ちが大きくてどうしたらいいかわかんない、みたいな感じで詰まってたんだと思います。

T:そこで何か始めたりしなかったんですか?

I:料理もやったし、陶芸とかもしてたかな。土触ったりとか。ノートに詩とか書いてましたね。


T:かなりいっぱい書いてたんですか?

I:うん、いっぱい書いてたと思います。で、犬飼ってもらって…。


T:歌はまだ歌ってない?

I:歌ってないですね。中学校のときは全然歌ってなくて。歌える気分じゃなかったです。


T:その後学校行けるようにはなるんですか?

I:テストのとき行って、単位は取って、とりあえず中学校は終わって、エスカレーター式の学校だったんで高校に上がれたんですけど、上がってもどうせ行かないことはわかってたから、もうやめる、ってやめて。


T:何年の時にやめたんですか?

I:いや、もう高校に上がる前に校長先生のところに行って、上がっても意味ないから私はもうやめます、って言いに行って。それからやめる、ってなったときに、学校に行かなくてもいいなって思ったんですけど、そのとき好きだった料理の学校に行きたくても高卒資格が必要で、とか、働きたくても好きなレストランとか好きなパン屋さんとか色々見てたけど、全部年齢制限や学歴に引っかかってて、なら高校の単位くらいとっとくわ、って単位制の学校選んで、受験しなおして入ってみたいな感じです。


T:そこではどういう勉強を?

I:普通の授業もあるんですけど、スクーリングって言って、提出しなくちゃいけないレポートとか課題とかたくさんあるんですけど、毎日決まった時間割じゃなくて全部自分で組み立てられて、二週間に一回くらいあったテストがあって、それさえクリアしていけばどんどん自分の単位もらえて。そこの学校でやっと復活してきたって感じですね。

T:精神的に安定して?

I:安定してきたかな…。


T:何年くらいのとき?

I:その学校にいたのが、普通に三年ですね。

T:入りなおしたって感じ?

I:そうですね。

T:そこで始めたことあるんですか?

I:安定してきて音楽に行ったのかな。


T:何かきっかけが?

I:その高校で、同じ経験をしてる子がいて、素敵な出会いがあって。ある友達に出会ったときに、その子に受けて曲を作ったんですよ。別にラブソングでもないけど、女の子の友達になんとなく曲を書いて。それを高校音楽祭みたいなのに出して、そしたら優勝だったんですよ。

T:それは大阪の?

I:大阪のやつで、優勝して。それが初めて人前で歌を歌ったみたいな感じで。

T:じゃあ初めて作った曲がうけて。

I:そうですね。


T:どんな曲だったんですか?

I:タイトルは「竜宮城」でしたね。「竜宮城」って曲ですごいジャージーな曲やったと思います。なんかちょっと珍しかったんでしょうね。


T:海の中の雰囲気の曲なんですか?

I:その出会いがまるで竜宮城の中に居るみたいな感じがする、ということを歌った曲なんですけど。

T:優勝してどう変わったんでしょう?

I:優勝がきっかけで変わった、というか、人前で歌ったことで「あ、いいな。歌を歌うってやっぱいいな」って思って。漠然とちっちゃい時から歌歌いになるって思ってたから、だからこのまま曲を作っていこうみたいな感じに思いました。

T:それが高校の?

I:二年生の時でしたね。

T:そこからすぐまた曲を作るんですか?

I:曲作ってたんですね。よく作ってたけどあんまり理論的ではなくて、今も理論的なことは分かってるわけないけど。コードネームとかそういうのあんまり分からないし、メロディは出てくるけど曲に仕上がるまでやっぱり時間がかかってて。そこからコード覚えたり、自分でピアノ弾いて、あ、これはこういうのなんだ、って。あとヤマハの小さいシーケンサを買って、友達で音楽やってる人とまだ出会ってなかったから、だからバックも全部自分で簡単に作って曲にしてましたね。

T:発表の場は他には?

I:んーコンテストですよね。


T:応募するみたいな?

I:そう、応募とか、あとはなんか大阪のジャズバーでもたまに歌ってました。


T:高校二年生のとき?

I:高校の二、三年のときに、ピアノがあって、後ろに流して、ライブをしてましたね。


T:自分の曲?

I:自分の曲しか歌ってなかった。


T:結構、曲はあった?

I:そのときは結構曲あったんですね。

T:何曲くらいあったんですか?一日何曲くらい?

I:一日八曲くらい歌ってた気がします。


T:それは自分から歌わせて欲しい、ということで?

I:そのときに出来た知り合いのギターの友達がいて、その人の師匠がそこでライブをするから一緒に行こうって誘われて、私ついて行って、そのときにマスターとお話して、私も歌ってるって言ってデモテープみたいなの渡したんですよね。そしたら連絡があって、じゃあやってみる?みたいに言われて歌ってましたね。


T:それは仕事として?

I:ギャラもらってたんですよね。


T:じゃ、それが初仕事ですか。

I:そうですよね、そうなりますよね。


T:なるほど、ではこの辺りで、PART1終わります。ありがとうございました。

I:ありがとうございました。



PART1 END>>>