MAMALAID RAG(PART1)

2009年、待望のニューシングルを連続リリース中のMAMALAID RAG、田中拡邦さんへのロングインタビュー。
そのPART1です。

(2009年3月/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 MAMALAID RAG (田中拡邦)
 ロングインタビュー (PART1)

  Talk&Interview #75
 
  


    
 MAMALAID RAG/田中拡邦 ロングインタビュー (PART1)
1995年
地元・佐賀にてMAMALAID RAGの母体となるバンドを結成。 初のオリジナル曲制作。

1996年
地元・佐賀のライブハウス“ガイルス”、お祭り・イベントを中心に精力的にライブ活動を行う。この頃、伝説的グループ「はっぴぃえんど」と出会い、日本語詞によるオリジナル楽曲の制作を本格的に始める。2曲目に完成した「風にゆられて」は、のちにシングル「目抜き通り」に収録。

1997年
4曲入りデモカセットテープ「束の間」を地元のスタジオで録音。2日間でミックスダウンまで終了。ジャケット歌詞カード付き。200本完売。 大学受験勉強のためバンド活動の一時中断を余儀なくされる。
11月  佐賀医科大学学園祭のステージに参加。

1998年
上京。曲作りにリハーサル。 都内を中心としたライブ活動。

2001年
老舗ロック喫茶“B.Y.G”(渋谷・道玄坂)にてライブを始める。
  
2002年
3月 ソニー・ミュージック・アソシエイテッド・レコードより初のミニアルバム『春雨道中』をリリース。
6月 シングル『目抜き通り』リリース。
9月 シングル『夜汽車』 ファースト・アルバム『MAMALAID RAG』リリース。
12月 大阪・東京・福岡にて初のワンマン・ツアー。東京・渋谷クアトロは発売と同時に即完。
 
2003年
6月  ミニ・アルバム『きみの瞳の中に』リリース。
7月  東京・福岡・大阪・名古屋にてワンマン・ツアー。

2004年
春  カセットテープレコーダーとマッキントッシュを組み合わせての自宅録音を始める。
8月  シングル『そばにいたい』 リリース。
秋  8トラックのオープンレコーダーおよびミキサー入手。フルアナログでの本格的な自宅録音期間に入る。CM用音源制作に大部分の時間を費やす。

2005年
年明 さらに録音機器類を入手、レコーディング。
1月 シングル『街頭/ふたりで目覚めたら』リリース。
4月  東京キネマクラブにてワンマンライブ『IN CONCERT』。
7月  FUJI ROCK FESTIVALに初出演。自宅録音を中断・破棄、商業スタジオでのレコーディング作業に戻る。
11月 ミニ・アルバム『銀の爪』リリース。

2006年
3月  シングル『消えた恋』リリース。
4月 2ndアルバム『MAMALAID RAG 2』リリース。
6月 リカットシングル 「レイン」リリース
7月 東京キネマクラブ・福岡にてワンマンライブ『IN CONCERT 2』。
8月 ライジングサンに出演。

2007年
まれにライブ。

2008年
MAMALAID RAGの活動を再開、しつつあったが、11月の2年3ヶ月振りとなった単独コンサートをもって再開。
本格的に作曲を再開、およびレコーディング。

2009年
1月 2年7ヶ月振りとなる、シングル「オフェリア」リリース。
2月 「オフェリア」リリースを受けての単独コンサート。
3月 活動再開第二弾シングル「空に飛ぶ想い」リリース。


TERA(以下:T):では、よろしくお願いします。

MAMALAID RAG・田中拡邦(以下:M):よろしくお願いします。

T:まず、生まれた場所を教えてください。

M:えーと、九州の佐賀県です。

T:家族構成は?

M:両親と姉がいますね。

T:近くに有名な場所とかありますか?

M:いや特にないですね、ただの田舎ですね。んー、有名な場所、吉野ヶ里遺跡とかですかね。近くではないですけどね、車で3,40分行きますけど。

T:なるほど。一番覚えてる遠い記憶って、何ですか?

M:んーあんまり記憶がないですね、小さい頃は病気がちだったので。なんか寝てる…学校休んで寝てるようなイメージばっかりです。

T:幼稚園の時から?

M:幼稚園は割りと普通でしたね、小学校…どっちかっていうと家にこもっているタイプだったので、はい。

T:小さい頃、こもって、家でやってること、何かあったんですか?

M:まあ、工作が好きだったので、何かもの作ったりとかしてましたね。

T:それは、小学校の時ですか?

M:小学校の中学年くらいから電子工作を始めて。

T:電子工作ってどんな感じですか?

M:ラジオ作ったりしてました。

T:なるほど。

M:で、そういう制作記事みたいなのを集めて、基盤を組んで作る、みたいなのを中学に入った頃までえんえんとやってました。電子工作少年、というかラジオ少年というか。

T:そもそも、最初始めるときって、何かの「キット」みたいなのがあるんですか?それともバラで?

M:最初はキットで組んでみるんですけど、だんだん回路図を見て自分でパーツを集めてやれるようになってきて、ていう感じですかね。自分で回路図を書いて設計、てとこまではいかなかったですけど。まあ、キットは後半はそんな使ってなかったですね。

T:ラジオの他には、何を作ったんですか?

M:もう多種多様ですね。AC変換の、ボルテージを変えられるやつとか。あるとすごい便利なんですけど、100ボルトからとって、メーターが付いてるんですけど。1.5ボルトから15ボルトまでだったかな、自由にボルテージを変えられる、で、DCで出るんで、なので9ボルトで動く機械とか3ボルトの機械とか12ボルトの機械とかあるじゃないですか、そういうのに対応できると。

T:なるほど、それ一つあれば。

M:はい。それとかあとは、無線でファミコンする、電波で飛ばして映像を、無線ファミコンって言うんですけど。


T:あの任天堂のやつを改造して?

M:あれにちょっと付けれるんですけど。

T:テレビ側にもつけるんですか?それって。

M:テレビ側…いやテレビの何らかのチャンネルで受信するんじゃなかったかなあ、と思うんですけど。送信機をだから作ったようなもので。

T:なるほど、見えないチャンネルに飛ばすんだ。

M:そう。トランスミッターみたいな。UHFトランスミッターみたいな。

T:それは何年生で作ったんですか?

M:それは、小学校五年生ぐらいだったと思います。

T:他にはどんなもの作ったんですか?

M:んー。他は、何か、あの、人が通ると何らかの動作をする、スイッチが入るっていう、まあそのスイッチの行き先は好きなのにすればいいんですけど。人影センサーみたいなものとか。

T:何か動くんですか、人がその前を通ると。

M:その動作は何でもいいんですよ、電球をつけるならそういう回路にすればいいし。リレーっていうのがあって、スイッチが入るとそのリレーがパシン、とこうスイッチが入る機械なんですけど。


T:よく玄関に行くと、ぱっと電気がついたりとか?

M:まあ、そういう類のものだとか。あとアンプ、小さなヘッドホンアンプを作ったりとかまあ色々やってましたね。


T:さっきゲームの話が出てきたんですけど、ゲームもやってたんですか?

M:小学校の低学年は、ゲームっ子でしたね、スーパーマリオブラザーズが出た世代なんで。


T:あ、なるほど。

M:幼稚園のときに出たんで。


T:ファミコン?

M:ファミコンですね、スーパーマリオブラザーズが最高にヒットしたじゃないですか、あれが出た、ちょうどハマってる世代なんで。ファミリースタジアムとか、ああいうのがちょうど幼稚園とか小学校低学年でやってましたね。

T:他にやってたゲームありますか?RPGもやってたんですか?

M:いや、あんまりRPGは好きじゃなかったですね。もっと単純な…。

T:アクション?

M:んー、ギャラクシィとか。そういうのが好きでしたね。

T:昔のインベーダーみたいなやつ。

M:そう、インベーダーみたいな。

T:音楽は小学生のときは?あんまり聴いてなかったんですか?

M:小学校の低学年まではもうとにかく音楽が嫌いで。

T:どの程度の嫌いな感じなんですか?

M:音楽の授業が嫌いで、音楽が出来ないっていう。姉がピアノやってたんで何か先生からも「お姉さんはあんなに出来るのにお前は出来ないのか」って言われたりしてました。けど、小学校の四年生くらいかなあ、『スタンド・バイ・ミー』って映画があったんですよ。

T:ありましたね。

M:それを見て「おお、いい曲だなー」って初めて思ったんですね。ベン・E・キングの。で、叔父の家に遊びに行ったところ、その60年代ヒット曲集みたいなのがあって、そういうのをパラパラパラっと見てたら一枚にそのスタンド・バイ・ミーが入ってて「あーこれこれ」と思って借りて帰ったんです。そしたらその中にすごい色々入ってたんですね。「アンチェインド・メロディ」とかサム・クックのやつとか。その中にもプラダーズとかそういう懐メロ?懐メロというかまあオールディーズっていうんですかね、そういうのがいっぱい入ってて。そういうのが好きになっちゃって、ずーっと工作をしながら聴いてたのが、それが音楽ですね。高学年の前か、中学年の終わりぐらい。

T:なるほど。その次は、どういう流れに?

M:で、そのCDの中に一つだけ変な音楽が入ってたんです。うるさい曲だなあって思って、「シーラブスユー」って曲だったんですけど。うるさいなあと思って嫌いだったんですけど。ビートルズ、何か名前聞いたことあるなあとは思ってたんですけど、うるさいなあ、と思って。でまた他のやつを何か借りたときにまたビートルズが入ってて、またビートルズだ、と思って。今度は「ヘルプ」だったんですけど。それを聴いてもうみなさんと同じように、こう雷に打たれたっていうんですかね、どかんと雷が落ちて。こんなに音楽って面白いんだ、と思って。何か聴いたことあるような感じがするっていうのがとにかく面白くて。初めて聴くのになんかこう聴いたことあるような、うきうきするような。んでビートルズを集め始めたのは五年生…くらいですかね。

T:それはもうCD?

M:CDでしたね。

T:他に何か、その頃買ったCDってありますか?

M:そうこうしてたら、父親がビートルズのCDを、まず最初にベスト盤買ってくれたんですよ。したらやっぱりうるさいのは聴かせたくなかったらしくバラード全集っていう、一曲目が「イエスタデイ」そういうのを買ってもらって聴いてたんですけど。ローリングストーンズを買いましたね、その後。

T:どのアルバムですか?

M:それもベスト盤、なんか本屋の脇で売ってる怪しい…。


T:ええ、ありますよね、500円くらいの。

M:僕ら通称「いかがわCD」って呼んでたんですけど。その「いかがわCD」を買ったんですけど。まあ買うときに、一応父親に相談して「ローリングストーンズって買おうと思うんだけど、どうかな?」って言ったら、すごい嫌な顔をして。

T:(笑)

M:「うるさいよ」って言われた覚えがありますね。まあそれでも買って。で、そういう風にそのビートルズとかビートルズの周りのバンドのものを聴くようになりましたね。


T:まだその時期は聴いてるだけな感じ?

M:聴いてるだけですね。中学校に入って隣に住んでる親戚の兄貴がギタリストだったんで、しょっちゅう遊びに行ってたんですけど。自分が持ってるビートルズのCDかけたりそれを弾いてもらったりとかしてたんですけど。「お前ギターやれよ」って言われてたんですけど、なんかこう根性がなくて。やろうとは思ってなかったんですけど、その時におばあちゃんが亡くなってその初盆の親戚の集まりのときにその兄貴が酔っ払ってギターをくれたんです。

T:酔っ払った勢いで?

M:ええ勢いで。まだローンが残ってるギター、エレキをくれたんです。そしたら、父親がそのギターを弾いたんです。弾けるって知らなくて。

T:それ、衝撃ですね。

M:衝撃でしたね。


T:何を弾いたんですか?ちなみに。

M:スタンド・バイ・ミーか何か弾いてましたね。色々話を聞いてたら、ローリングストーンズはうるさいよ、って言った親父が、昔はジミーペイジが好きだったって。

T:(笑)

M:ツェッペリンの方が三倍くらいうるさいと思うんですけど。っていう話なんですけどね。

T:そのことに対して、お父さんは?

M:いや、もう、だからこっちも分かりましたからね。まあ聴かせたくなかったんだなと。その気持ちはなんとなく…今は普通に分かるし当時も分かった、みたいな…。

T:そもそも、お父さんは目指してたものが「音楽」にあったんですか?

M:やっぱり、バンドやってて東京に行きたかったみたいですね。


T:そうですか。で、中学生の時にギターを持ったあとは?

M:で、ギターをもらって、なんか二、三ヶ月いじってたら弾けるようになって、で、バンドを作ったんですね。友達に聴かせたらやっぱりみんな盛り上がって、じゃあバンドつくろうっつうんで、ビートルズバンドを作って。で、たまたまうちの家の周りの地域で伝統的に色んな世代の人がバンドをやってて、そういう上下関係があってそこの一番下に入り込んだ形になったんですね。で、先輩が中学三年生でビートルズバンドをやってると話を聞きつけて。友達のお兄さんだったんですけど、そのひとの家に行って習ったりして。で、文化祭があると。

T:学校の?

M:そうですね。その三年生はやるらしいって話を聞いて、「じゃあ、僕らも出てみよう!」って、中学一年生で出たんです。それが最初のバンドの。

T:それはギターで?

M:ギター&ボーカルですね。他、同級生で集まって。


T:何バンドくらい?

M:その時は三バンドか四バンドくらい出てましたね。


T:バンド名とかは?

M:バンド名はなかったですね、文化祭バンドだったんで。

T:曲はどんなのをやったんですか?

M:ビートルズですね。

T:全部ビートルズ?

M:ビートルズ。ビートルズバンドですね。

T:何曲くらいやるんですか?

M:一年生の時は、もうおまけみたいなもんだったんで、三年生が怖かったんで、三曲…、あ、二曲かな…。二年生の時は六曲くらいやりましたね。

T:バンドメンバーは変わらず?

M:変わらず、一、二、三と。で、一年生でやったのは僕らだけでしたね。そしたらそれを見た同級生が来年はやる、っつうんでいくつかバンドが出てきたんですよ。で他のバンドの一人に、こないだまでMAMALAID RAGにいた江口がいたんですけどね。で、そうやって中学校三年間は文化祭バンドやってて、で、江口は江口のバンド、二年生から他のバンドをやって、お互いにバンドの中でリーダー的な存在だったんですね。一番まあお互いに技術も信頼して、じゃあ俺達二人がやったらもっと良いんじゃないかって話をして。したのが中学校の卒業式ぐらい。で、高校になったら一緒にバンドやろうって約束したんです。それで作ったのがMAMALAID RAGってバンドのの前身バンドだったんです。

T:中学生のとき江口さんのバンドもビートルズですか?


M:ビートルズでしたね。

T:じゃあ、三年間ともビートルズ?

M:もうどっぷりビートルズでした。

T:なるほど。で、学校以外での演奏は?文化祭がメイン?

M:そうですね。ただ二回か三回中学生のときになんかのイベントに出させてもらってやりましたね。やった覚えがあります。


T:中学はバンドが生活の大部分に?

M:そうですね。一応、野球部でしたけど、野球部のほとんどがバンドやってる連中だったので、毎日サボってバンドの練習をしてた覚えがありますね。


T:学校で練習してるんですか?

M:いや、学校ではもう完全に認められてないんで、勝手に音楽室に入り込んでクラシックギターで真似事したりはしてたんですけど。基本的には自宅でみな集まってやってましたね。


T:高校も地元の高校ですか?

M:高校は、地元が一番いく高校に行こうかとも思ったんですけど、その江口がそっちに行くことになって、僕もそっちに行こうと思ったんですけど。ふと思いついたのが違う高校に行った方がいっぱいバンドのメンバーを見つけられると思って。幅が広がると思って、選択肢の。で、江口が行くほうが地元高校で、僕が受けたのが佐賀市内のちょっと離れたとこだったんで、僕が住んでるところとは。住んでるところは田舎だったんで、市内から離れてたんで。で僕は市内の高校を受験して、バンドのメンバーを探すために。

T:もっと腕がいい、というか?

M:そうですね。で、そのメンバーにもちょっと不自由してたんで、他のメンバーを見つけられない状態で困ってたんで。なんで僕は佐賀市内の割とアウェイな高校に行きましたね。

T:高一の時は、その辺の動きとかあったんですか?

M:もうギター弾けるって噂のやつには、みんな声かけて、学年四百人くらいいましたけど、十クラス周って声かけたんですけど、意外にレベルが低くて。なかなか見つかんなくて紹介してもらったりオーディションしたり、雑誌にメンバー募集出して電話がかかってきたりとか、ありとあらゆることやったんですけどね。で、難しくて。結局、見つかんなかったんで、とりあえずドラムだけいないと始まんないってことで、ドラムは中学の時のイベントでたまたま一緒になったやつがいたんですよ。そのイベントっていうのが地元の僕らが通ってた楽器屋さんのイベントだったんですけど。そこの社長さんが「お前達みたいに中学生とか小学生集めて一つバンド作るから、それでうちのイベント出てみなさい」ってこと言ったんですね。で色んなバンドから勝手に集められて、リハさせられて、ビートルズやった、っていうことが中学時代にあって、そのバンドの中に江口もいたんですけど。僕と江口と。あとドラムが小学生で。そこのドラムスクールに通ってる子だったんですけど。じゃああいつにしよう、っていうんで、高校でそいつは中学になってたんですけど、そいつに白羽の矢を立てて、ようやく三人組ができあがった、というのが高校の五月六月…入学して一、二ヶ月経ったくらいですね。

T:オリジナルとかは?

M:いや、まだですね。ビートルズをやりたくて、ギターをとりあえずもう一人、ジョージ・ハリスンがいないと駄目なんで。探したんですけど。なんか「布袋寅泰が好きです」って人が来たりしてなんか断ったりとか。そういう報われない毎日がしばらく続くんですけど、ある時、毎朝通学するときにベッドの下にだーっと並べてあるカセットテープから一本抜き取ってウォークマンに入れて、学校に行くのが日課だったんですけど。

T:まだ一般的にカセットテープ?

M:一般的にカセットテープでしたね。 MDは高校三年生ぐらいかな?

T:なるほど。で、そのあと?

M:で、家庭教師の先生がいて、彼は大学生で、佐賀大学に通う学生だったんですけど、彼が音楽マニアで。色んなレコードを、ブラックディスクを色々貸してくれて。僕はレコードからテープに落としてそれをストックしておいて朝適当に選んで持っていくっていう感じだったんですけど。ある朝たまたま何も見ずに突っ込んだのが、「クリーム」だったんですね。んで、その駅から自転車で高校に行く間にテープを聴きながら行ってたんですけど、そん時に「クリーム」の「クロスロード」っていう曲がかかって、それで、もう二回目の雷ですね。

T:あーなるほど。

M:もうびっくりして。自転車を止めて、聴き入っちゃって。んで、こんな音楽があるんだ、とびっくりして。エリック・クランプトン。クリームか、と思って。家に帰って父親に、父親音楽やったんで詳しいんで、父親に聞いたら、「これ、三人組だよ」って言うんですね。「そうか、三人でいいんだ」って思って。もうクリームをやるしかないですよね。で、すぐもう江口に電話して、電話で聴かせて。クロスロード、これ三人だからやろうって。ビートルズバンドからクリームバンドに変わったんです。そこからそのクリームだから一曲何分もインプロビゼーションやってるような、エレキギターを弾きまくるような、プリハードロックって言うか、プリヘビーメタルというか、クラシックなメタル音楽ですけど、ま、そういううるさいのを高校の夏くらいからライブ活動始めましたね。

T:高一の夏?

M:夏ですね。

T:発表の場は?

M:毎月その、さっき言った先輩後輩の繋がりのあるグループの中で高校生グループが毎月市内のライブハウスを貸し切ってイベントをやってたんです。で、そこに僕らも入るようになって。七バンドから八バンドで、三百人くらいお客さんが集まって、まあ一日日曜日にやる、っていう毎月のイベント、それが中心でしたね。

T:その時のバンドの名前は?

M:それは「クロスロード」から「クロスウォーク」っていう名前にしたんですね。


T:それはクリームをやり始めてから付けた?

M:そう、そうですね。


T:みんなで考えたり?

M:みんなで。

T:で、しばらくはクリーム中心?

M:もうずっとクリームでしたね。基本は三年間クリームでしたね。


T:そうなんだ。じゃあ、二年生もクリームで?

M:それで、二年生の夏くらいに地元でコンテストがあって。一曲はオリジナルでなきゃいけないという条件で。ああじゃあもうそろそろオリジナル作ったほうがいいか、で一曲作ったんですよ。初めて演奏して。

T:最初オリジナル作る時って、みんな集まってやるんですか?それとも個人で。

M:曲書きは個人ですね。それからアレンジメントはみんなで、ていう感じでしたけど。


T:家でこもって、ギターで作って行くんですか?

M:そうでしたね。で、さほどあまり感触もなく、とりあえず作ったか、って感じで。まあクリームやってたしこうブルーズロックっぽい感じの曲だったんですけど。で、コンテスト終わって、九月くらいかな、夏が終わったあたりに、ドラムの子が中学三年生だったんですけど、高校受験だと、で親御さんがこうすごく教育熱心な方でバンドを続けられない状況になって、やめちゃったんですね。


T:急にですか?

M:急に。夏の終わりに。で、僕と江口は「困ったな」ってんで、メンバーをまた探しに出るんですけど、僕はたまたま買い物に行ったホームセンターみたいなとこで楽器屋の知り合いに会いまして、知り合いが「山田がやりたいって言ってたよ」って言ってくれて。本当ですかー、って。

T:その山田さんが?

M:MAMALAID RAGのオリジナルのメンバー、ドラムスです。

T:元々は何をやられていた方なんですか?

M:彼は元々長崎の人なんですけど佐賀大学生として、佐賀に来てる人で、僕と江口より六つ年上だったんですけど、大学生でいながら大学に行ってなくてレコード屋でずっとバイトしてるような人で。レコード屋にいるって言うんでそのまま江口と制服で行ってカウンターで、「ドラム叩いてください」って言って、お願いしに行ったんですね。そしたら、「おお、いいよー」って、その僕らのやってた活動を端で見てたらしくて。普通は大学生が高校生のバンドと一緒にやったりしないんですよ。


T:なるほど。

M:僕らも、絶対やってくれないかなと思ってたんですけど。そしたら、やってくれるって言って。何故かと言うと僕らの活動をちゃんと見てたって。そのやってた内容がクリームをやってた、っていうのがものすごい面白かったっていう、他のバンドにない大人びてたというか、ませてたというか。でテクニックもきちんと江口も僕もまともなことは出来たんでその辺も評価してくれたと思うんですけど。まあそれで山田さんが入って、ようやくメンバーが固まったのが二年生の秋。それからはもうコンテストやらイベントやらお祭りがあれば全部出る、みたいな。


T:バンド名は?

M:まだ同じですね。


T:三人になってから、ライブの感触とか反応とか変わったものは?

M:やっぱり一番大きかったのが、彼が「オリジナルをやろう」って言いだしたんですね。僕が一曲だけオリジナルの曲があるって言ったら、僕はあまりやりたくなかったんだけど、オリジナルこそやろう!って方向性を、やっぱり六つも年上だったので色んな方向性を導く人なった、っていうのがバンドにとって一番大きかったですね。オリジナルをやろうっていうんで、すごくお兄ちゃんだから信頼して僕も曲を作ろうっていうんでこれから曲を作り始めようとしてた時に、「はっぴいえんど」聴いたんです。こないだのライブでも言ってましたけど、たまたま父親が車の中で聴いてて、でも日本の音楽なんてどうしようもない、って思ってたのが、こんなにかっこいいのがあるんだ!っていう。

T:それ以前の「はっぴいえんど」聴く前に聴いた日本の音楽は、テレビやラジオで流れてた音楽に?

M:そうですね、完全に拒絶してましたね。中学校のビートルズ勉強三年間があったんでよけいに。抜けれなかったっていうか。その壁を破ってくれたのが「はっぴいえんど」ですね。

T:元々テレビとか見ないですか?

M:割りに見てました。でも、高校のときは進学校だったし進学クラスだったので忙しかったんですよ。バンドやりつつ勉強も、で、大学に行くつもりだったので。

T:文系ですか?

M:文系ですね。だからテレビ見る暇はあまりなかったですね。全く見ないわけじゃないですけど。


T:「はっぴいえんど」に出会って、まず何のアルバムって言ってましたっけ?

M:『ゆでめん』ですね、一枚目聴いて、それでオリジナル作るタイミングにもなったんでもうこれはやるしかないっていうんで。日本語のオリジナル。

T:それが高二の秋?

M:秋ぐらいですね。で、それから作った曲が気に入ったのができて、ライブやりつつ、春に高校三年になって、だんだん僕らも大学受験が近づいてくるわけじゃないですか。そうすると大学生の彼が色々先を見越して言ってたんだと思うんですけど。この先ばらばらになるだろうから記念にデモテープを作ろうって言い出したんですね。そんなアイディア僕らになかったんですけど。なるほど、と思って地元のスタジオを借りて二日間で四曲かな、初めてレコーディングしたんです。


T:そのときもバンドは「クロスウォーク」?

M:そうですね。で、カセットで二百円で売って。


T:ライブ会場で?

M:いや、学校帰りにとか、学校とか。知り合いに会ったら。


T:なるほど、知ってる人にですね。その四曲っていうのは後に発表される音源には入ってない?

M:一曲だけその「風にゆられて」って曲がメジャーで出したシングル版のB面に入ってますね。

T:他の三曲はそのカセットオンリー、と。

M:そうですね。


T:レコーディングは、どのくらいかかったんですか?

M:もう、レコーディングの知識もないしお金もないし、とは言ってもすごく安く作ってくれたんですけど、二日間ですね。十六時間くらいだったと思います。三万円で。当時消費税がまだ三%だったんで、確か三万九百円だったと覚えてますけど。


T:デモテープのタイトルは?

M:表題曲が「束の間」って曲だったんで、「束の間」ってタイトルの四曲入りのカセット。歌詞カードがついてて。


T:どのくらい売れたんですか?

M:二百本以上はいったと思うんですが。


T:すごいですね。

M:まあ、二百円ですからね。テープ代が百六十円くらいだったんですけどね。


T:デモテープを売って、その後バンドは?

M:僕らは受験勉強に入って、休憩したんですよね。休憩してたところで、ドラムの山田くんと話してたら一枚の紙を持ってきたんですね。それを見るとオーディションの用紙だったんですよ。


T:それは、全国的なオーディション?

M:いや、九州限定オーディションで。何で彼がそんなのを持ってきたかというと前に言ったようにレコード店でバイトしてたんでレコード会社のプロモーターがしょっちゅう出入りしてて、その僕らのデモテープを持っていったと。で、「気に入ったから出てよ」って言われたって。そのオーディションの紙を僕に渡して。一応僕がリーダーだったんで。渡されて、でもあんまり興味なくてそのままほったらかしだったんですけど。夏くらいにまた家でその紙を見つけて、見たら賞金三十万円!って書いてあって、ああーいいなーと思って、期限見たら明後日で。あ、これはまずい、と思って。ビデオカメラで撮影とかしなきゃいけなくて。

T:それは紹介コメントみたいな?それとも演奏シーン?

M:演奏シーン。それで父親の知り合いにビデオカメラ貸してもらって、その日のうちに全部素材を揃えて、応募したんですよ。それが大掛かりなオーディションで。ソニーと東芝とエイベックスだったかな、が協賛してる、僕らが後に入る事務所主催のオーディションだったんです。それは九州地区オーディションってことで、テープ審査で次はライブ審査で、二次ライブ審査、三時ライブ審査のあと面接かな。でなんかトントントンといっちゃって。四千組の中でグランプリになっちゃって。九州の全域で、ですね。オーディションずっとやってたのが秋口、でしたね。結果が出たのが年明けくらいでしたかね。

T:受験とほぼ平行して?

M:でも、受験は取りやめたんで。11月くらいに結果出てたかもしんないですね、そんで東京に来ませんかって言われたので。で、江口は東京の大学に行くことを条件にご両親がOKを出して、僕は大学はやめて、大学生の山田くんは大学を中退して。


T:(笑)佐賀の大学を辞めて。

M:で、東京にみんなで来たのが、三年生卒業して、春ですね。三月十何日、とか。だからちょうど98年ですから、今2009年だから11年前。

T:11年前ですね。バンドはまだ?

M:「クロスウォーク」ですね。


T:では、この辺りで、来号のPART2に続きます。

M:はい。


PART1 END>>>

今年2009年、久しぶりの新音源を連発するママレイドラグ。

1月リリースの「オフェリア」に続いて、3月18日にリリースの、
2009年セカンドシングル「空に飛ぶ想い」(c/w 恋の予感)。
更に今年は色々と発表する予定のあるママラグ田中拡邦さんより、
メッセージ映像をお届けいたします。


    

MAMALAID RAGの詳しいインフォメーションは、オフィシャルサイトまで!

Movie

MAMALAID RAG /
SPECAIL MESSAGE 2009 SPRING」


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