辻畑鉄也 / Tetsuya Tsujihata


1984年ロックバンド「ピカソ」としてデビュー これまで『シネマ』等、アルバム7枚、ベストアルバム5枚発表。同時に、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして活躍中。そのピカソの辻畑鉄也さんの過去から現在までを辿ったロングインタビューです。


(2004年2月3日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)




辻畑鉄也 (Tetsuya Tsujihata)


略 歴

1956年 2月29日 山口県宇部市生まれ
1978年 慶應義塾大学卒業
1984年 ロックバンド「ピカソ」のメンバーとしてレコードデビュー
これまで「シネマ」「ファンタジー」「僕の瞳のマーチ」等、シングル14枚、オリジナルアルバム7枚、ベストアルバム5枚発表。
同時に、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして活躍。

主な楽曲提供作品

彩恵津子「ピグマリオン」、松田聖子「Love」、薬師丸ひろ子「瞳で話して」、田村英里子「東京ビーナス」、西村知美「16粒の角砂糖」、杏子「アネモネ」、アマゾンズ「KIss in the Dark」、ひらけ!ポンキッキ「ゴロちゃん」、石黒ケイ「ランダム」、我那覇美奈「アノ雲ヲ追イカケヨウ」、今野久美「地図にない街」、他

主なプロデュース作品

アコースティックス「リフレクションズ」、上原さくら「シンシアリー」、彩Color「深呼吸」、Gen「銀ラッパの行進」、我那覇美奈「さくらの頃」、アニメ稲中卓球部サントラ、磯野テルヲ「あたたかな場所」、カレイド・スコープ「プロトタイプ」、陳少華、今野久美「地図にない街」、アニメ「YAWARAスペシャル」、他

基本的には売れるとか気にしないでやりたい放題やろうという事と、危険な感じというか、例えば夏だと、TUBEみたいにスコンといきたい訳じゃない。でも夏っていうのも、結構危険な匂いするよね、例えばアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」だとか、ストレートでなく斜めから切ったものが好きだったんで、そっちからの切り口も含めていこうよって。ひねくれてたのかもしれないけど、もうちょっと深い感じ方を伝えたいなと、カッコよく言うと。

TERA: (以下T) まず、生まれと場所からお願いします。

辻畑:山口なんですよ。山口の宇部っていう所で1956年生まれ。スティングと同じです、恐らく。

T: ずっとしばらく山口だったのですか?

辻畑:高校卒業まで山口にいて、普通に大学で東京に出てきてという感じで。

T:小さい頃はどんな感じのお子さんだったんですか、小学校の時は。

辻畑:小学校の頃はね、当時グループサウンズが流行ってて、それが大好きで。その辺から音楽に入ったような感じかな。グループサウンズの真似ごとしたりとかして、中学校でバンドやったり。

T: それはテレビや、ラジオの影響ですか?

辻畑:テレビです。中学入ってからはラジオ。深夜放送が流行ってて、洋楽ね。今をときめく、みのもんたがDJやってたね、「オールジャパンポップ20」というのがあって、それで当時はやってた洋楽をずっと聞いて。当時の洋楽がやっぱり基本。その後、ビートルズにのめり込んだんだけど、基本になってるかな。

T: 初めて買ったレコードは?

辻畑:初めて買ったレコードね。レコードはね、橋幸夫のね、『メキシカンロック』っていうの。ロックじゃないんだけどね(笑)、今聞くと。

T:『メキシカンロック』をなぜ買おうと?

辻畑:それはね、ロックっていう言葉に何かカッコいいと思ったのかもしれない。小学校4年ぐらいだったかな。洋楽で最初に買ったのはね、ウォーカーブラザーズの、当時コンパクト版とかって、4曲入りのやつがあって、それを買ったのが最初だったと思う。

T:それも小学校の時ですか?

辻畑:小学校5、6年だったと思うな。グループサウンズの人たちが、ウォーカーブラザーズの曲をカバーしてたりしてたから。

T:何か楽器は、やってたんですか。

辻畑:こう見えてピアノ習ってたんだよ。ピアノ習ってたりしたけど、洋楽、そういうのを自分でやろうとして、やっぱりギターを中3のときに友達に教えてもらってやり始めた。サイモンとガーファンクルがはやって、そこからかな。

T:割と早く覚えられた方ですか?

辻畑:父親がね、音楽すごく好きで、フォークとかも大好き、拓郎とかも好きで。そのレコード買ってきたりとかして、割と理解あったもんで、親父がまずギターを初めて、それで一緒に買ってもらってやり始めたって感じ。グランド・ファンク・レイルロードが好きだったの、親父が。

T:じゃあ、もう親は公認っていうか。

辻畑:そうそう。でも、当時やっぱりそういうのを持ってると不良って言われてた時代だったけど、うちは全然平気だったよね。

T:アンプつないだりとか。

辻畑:いや、それはしなかったね。

T:そこまではいかない。

辻畑:うん。しなかった。フォークギターで。

T:高校になるとどういう感じで音楽活動を?

辻畑:高校になるとね、世界はグラムロックがはやり始めまして、T-REXとかが。やっぱりそういうのを聞いて。あと、エレキギターがやっぱり欲しくて、エレキギター買ってね、バンド組んでやったりしてたけど、基本的にビートルズが好きだったんで、ビートルズのナンバーをやったけど。結局、アマチュアのバンドって、例えば4人メンバーいたらみんな趣味違うじゃない。それぞれが公平に民主的だから、好きな曲出していくのね。1人はチューリップの「心の旅」とかで、1人はプロコル・ハルムの「青い影」とか、1人はグランド・ファンク・レイルロード、1人はT-REXとか、そういうむちゃくちゃなバンドで、学園祭でやったりとかしてたね。で、学園祭しか発表する場がなかったよね、高校の時は。あと、ライブハウスでやったりとか、そういうのを始めたのは、やっぱり東京に来てから。

T:高校時代のバンドは長く続いたんですか?

辻畑:2年か。だから。2年の時までやって、受験勉強もあるからさ。あと、陸上競技をやってたんで、そっちも忙しかったから、そんな本気っいうのではなかった。

T:高校出る時、進学とか将来の事とかってどう考えてたんですか?

辻畑:進学はね、親が「弁護士になれ」って言って、「じゃあ法学部受けましょう」という事になって、まず。それで、何かやっぱりちょっと芸能界に近いところがいいなと思ってて、僕、慶応なんだけど、加山雄三って慶応じゃない。ちょっとフリーな感じでいいなって、楽しそうな学園生活もあるし、音楽も好きにやって、女の子にもててみたいなことを。

T:若大将の世界ですね。

辻畑:そうそう。だから、結局ゴジラの世代なんだけど、必ず若大将と抱き合わせで映画館でやってて、若大将をずっと見てたから、それでじゃあっていって慶応に行って。

T:すんなり。

辻畑:すんなり。おかげさまで。

T:それで、東京に出てきたんですか?

辻畑:そうそう。なかなか馴染みませんでしたけど。

T:そうですか。最初、生活はどんな感じだったんですか。

辻畑:最初はね、やっぱり田舎から出てきたばっかりで。今、もうそういうのないと思うけど、下宿だよね。いろんな人がいる、下宿の一部屋借りて生活してたけど、なかなか。すごく昔の話なんだけど、日吉に住んでたのね。日吉から渋谷まで40円ぐらいだったかな。まず、渋谷というところに行ってみようって、渋谷に行くでしょ。すると、昼間から人いるじゃない。「今日、お祭かな?」と思ったよ、最初ね。交差点のところも人、いっぱいいるし、それがやっぱりすごくインパクトがあった。まず、うち田舎だったから、電車もほとんど乗ったことなかった。行動手段ってバスだったからね。バスか自転車じゃない。それが、もう東京に来たら、何か1日じゅう人が朝からいて、いい大人がいる訳じゃない。昼間から。失「業者って、こういう人たちの事かな」と思ったよ、最初は。なかなか馴染めなかったね。学校はまじめに行かなかった。

T:何をしていたんですか?学校行かないで。

辻畑:ぶらぶら散策、東京の。六本木というところに行ってみよう、六本木行ったり新宿行ったり。六本木ってね、六本木区っていうのがあるんだと思ってたの、その頃。全然1年ぐらいそうやって思ってたかもしれない。六本木はだからよく行ったよね。みんな六本木で、うちの大学はよく遊ぶところだったから、連れていかれて。ディスコに行ってね、ソウルがはやってて、何だこれはっていう感じだったよね。

T:音楽はまだ始めてなかったんですか?

辻畑:いや。入ってすぐバンド組んだりとかして、高校の時と一緒で、陸上競技やりつつバンドも組んで。結局、バンドやるっていうのって、女の子にもてたいっていうのが一番大きいじゃない、男は。それでやり始めて、陸上競技やっても、全然応援も誰も来ないしさ、バンドやってた方がもてるなと思ってやり始めたんだけど、そうこうしてる内に、大学2年ぐらいになると、サーファーのブームが来ちゃってね。そうすると、レイルバックっていって、俺たちは最初、ロンドンブーツとか履いてたんだけど、その頃もうみんなスニーカーで。西海岸の感じがカッコいいっていう事で、全然もてない訳よ、バンドやってても。途中から今度はルービーブラザーズとか、イーグルスやろうってやり始めたりとか、ふらふらしてたね。ライブハウスとかも、その頃、学生バンドとしてやったりとかして。その頃、ドラム叩いたりしてた。ドラム叩きながら歌ったりとか。ワイルド・ワンズのドラム、植田芳暁さん、ああいう感じカッコいいなと思って。ドラム叩いて歌ったりとかしてたよ。

T:ヤマハとかあの辺の絡みは。何か出たりとかして。

辻畑:ポップコンに応募した事ある。落ちたけど。あとはそんなオフィシャルにはあんまりやらなかったな。学校でポップス研究会っていうのやってて、そのポップス研究会で何かどこかのコンテストに出たりとか、そういうのでやってたりしたけど。でも、今考えたらさ、そういうコンテストに出るのって変だよね。ロックバンドのコンテストに出てね、ニルヴァーナとかもロックコンテストとか出てたのかなと思っちゃうよね。

T:それで、2、3年になると何か変化あるんですか?

辻畑:その頃からね、ちょっとプロのミュージシャンになりたいと思ったんだけど、大学3年ぐらいのころは、今度は西海岸ブームが広がって、当時、クロスオーバーって言ったフュージョン、インストのラリー・カールトンだとか、リトナーとか、インストが流行って、いい若い者がさ、ひげ生やしてちまちま弾いてるのがはやってて、不健康だなと思いながら、ボーカリストだったから、そのときは。もう肩身の狭い思いをしてたね。それが1年ぐらい続いて、4年ぐらいになった時に今度はニューウエーブが来て、SEX PISTOLSだとか、XTCも当時出たばっかりだったけど、そういうバンドっぽいっていうか、おじさんたちじゃないロックミュージックが流行ってきて、そっちに行ったったけど、パンクじゃなくてニューウエーブやったの。好きだったの僕。SEX PISTOLSとかあの辺のじゃなくて、もうちょっと音楽的にねじれた感じのが、すごい好きで。そっちに。もう当時ブームだったからね。いわゆるモダンポップみたいな感じのをずっとやってて。その後、就職の時に、4年に就職するじゃない。で、僕たちが学生の時は、会社の内定が出るのが9月だった。そういう風に決まりがあった訳、就職の。それなのに、夏休み友達に会ったら、おれもう内定もらったからってみんな言うじゃない。「え、何で?」って言ったら、「何でって夏休み前にほとんど決まってるんだよ」って。「え、そんなこと聞いてないよって。普通、だって、夏休み終わって会社訪問して決めるんじゃないの?」って言ったら、それは表向きで、もうみんな決まってるんだって聞いて、それでまずまともな就職はあきらめて、デモテープをつくってレコード会社回ったっていう。

T:その頃って、デモテープをつくって、応募するみたいなのっていうのは当たり前っていうか、そういうのはあったんですか?

辻畑:ヤマハの、さっき話したポップコンとかで、スタジオよく使わせてもらってたもんで、お願いしてちょっと使わせてもらって、デモテープをもう作ってあったのね。その時は、卒業記念レコーティングとか何とか適当に言って。それを持って回ったんだけど、他の連中はどうだったんだろうね。持って回った人もいると思う。ただ、その時はメンバーはもう就職も決まってたりして、ばらばらになったんで、そこでレコード会社がKITTYというところに決まった時点で、またメンバーちょっと集め直してみたいな感じで。

T:その頃のバンドメンバーは、どういう仲間だったんですか。同じ大学の?

辻畑:同じ大学の同じクラブの連中で、レコード業界に就職した人間もいるし、全然違う所に行った人もいるし。キーボードの森っていうのが、そのとき一緒にやってて。彼はお兄さんがこの業界にいたもので、森雪之丞っていう作詞家なんだけど、だから割とすんなり誘いに乗ってきたっていう。じゃあ、僕も就職しないでやるよっていう感じで。

T:バンド名は?

辻畑:なかった。デビューが決まってレコード会社で。今でも思い出すけどさ、会議室で「今、バンド名ないと困ります」って、いろんな印刷に回したりとかするのに困るって言われて、その時に『ピカソ』
っていう名前が。

T:その時のメンバーは森さんと。

辻畑:その時はもうこのメンバー、森、東、辻畑3人で。

T:東さんは、どういう繋がりだったんですか?

辻畑:彼はね、卒業してメンバーをもう1回一新して集めるときに、森と僕二人だけになって、「誰かもう1人」っていって、楽器何がいいかねって言ってる時に、「やっぱりベースが欲しいね」ってなって、その時に人の紹介で彼を紹介してもらって。彼はその時にプロでやってたんじゃないかな。

T:そうなんですか。で、『ピカソ』のデビューは?

辻畑:ライブはやらないし、曲もほとんどないし、レコード会社と絡みはあるんだけども、作品もない、ライブもやらないでどうするんだっていうような、よく契約したなと思うんだけど。そこからね、デモテープ30何回録った。だから、デビューまでそこからね、5、6年かかったと思う。

T:最初の『PICASSO』というアルバムに関しては?

辻畑:それがデビューアルバムで。だからそこまでに至るまでにレコード会社決まってから、5、6年たつんじゃないかな。

T:契約したのは何年になるんですか?

辻畑:契約したのは1980年ぐらいかな。ちょっと複雑な事がいろいろあって、契約したけども、そのプロデューサーと一緒に1回レコード会社出て、新たに事務所をつくったりして、またそこもなくなって、また戻ってって、そういうごたごたがあったもんで、その辺のタイムラグだね。で、僕以外の2人は楽器出来るんで、レコード会社関係の人のバックやったりとかして。僕はずっと予備校の講師やったりとか、そういうお勉強を教えるので生計立ててたっていう。

T:では、『ピカソ』っていうバンドは結成したけれども、まだデビューには至っていない。

辻畑:至ってない。

T:最初のアルバムが、VAPからの『PICASSO』ですね。

辻畑:うん、そうそう。契約したレコード会社はKITTYだったんだけど、KITTYレコードじゃなくてVAPの方からやりたいっていう話があって、事務所はKITTYにして、レコード会社はVAP、日テレの系列の。まだ出来たばっかりだったの、VAPが。それで、そっちに移って。アルバム2、3枚つくったんじゃないかな。

T:その1st『PICASSO』はどんなアルバムだったんですか?

辻畑:かなり変質的なアルバムで、当時打ち込みって、まだそんなにサンプリングとかの手法があんまりときに、声サンプリングしたりとかして、いろいろやって。今聞くとね、ほんと自宅録音の感じだよね。

T:ライブとかは出来ない感じですか?

辻畑:だけど、結局それでツアーをやらなきゃいけないんで、ライブやったりしたけど、もちろんレコードになった作品と全然違う感じで。今聞くと、でももう20年近く前だからあれだけど、ひどいよね。

T: そうですか。

辻畑:作品としては。特に歌がね。

T:このデビューの年に何か動きとかは?

辻畑:デビューした年はね、何も起こらなくて、発売されただけで。デビューしただけってこんなもんなんだなっていう。デビューする前のほうか裕福だったかもしれない。

T:なるほど。デビューアルバムの前にシングルが?

辻畑:そう。シングルが先。

T:その『本気!トリッキーレディ』。これは、どういう楽曲なんですか?

辻畑:これはね、ファンカラティーナって言ってね、当時何とかアンドココナッツ、ちょっと忘れちゃったけど、要するにラテン系の音楽がはやってたんで、それ風な曲をちょっと、流行りのものをやろうってやったんだけど、やんなきゃよかったなと思って(笑)。

T:続くシングルの『TIDE』がCMソングに?

辻畑:うん。『TIDE』と『シネマ』。その辺は、デビューする前に録音してあって、ずっとタイアップで動いてくれてて、『シネマ』がたまたまアニメのエンディングテーマに使われて、少し認知されてっていう。

T:TVアニメの『めぞん一刻』のテーマで?

辻畑:そこからは割と連発して、そこに採用してもらって。でも、最初ちょっと違和感あってね。やっぱりアニメっていう感覚がなかったから。いわゆる「漫画だな」っていう感じで、漫画のエンディングテーマっていう事になると、何か日曜日のデパートの屋上とかで、ぬいぐるみ着て歌わなきゃいけないとか、そういう事言った先輩とかもしたりして、「何か嫌だな」と思いながらやってた覚えがある。でも、取りあえず、何か起こさないといけないかな?って。

T:87年までの間に、アルバムが4枚ですね。

辻畑:ツアーとかも、その頃は頻繁にやってて、色んなところ行ったよね。もちろんライブハウスクラスなんだけど。でもね、結局ピカソっていう3人が認知されてるんじゃなくて、アニメのエンディングテーマっていう事で認知されてるもんで、サインしてくださいって、ファンは男の子で。男の子がすごく多かったね。来るでしょう、そうすると「五代君って書いてくれ」って言うんだよ。五代君っていうのは、『めぞん一刻』に出てる主役の男の子なんだけど、だから、アニメの音楽やるってこういう事なんだなと思ったんだよね。

T:1988年あたりから、違う動きが?

辻畑:そう。その辺からプロデューサーがちゃんとついて、それまではプロデューサーなしで自分たちで好きにやってたんだけど、その辺からプロデューサーがついて、「どういうものをやっていくんだっていう事をもうちょっと考えよう!」という事で。その時にレコード会社からね、バブルの時期だったから、レコード会社もお金があって、「ピカソは、アーティストプロモーションが全然出来てない」と。だから、「予算を何百万かやるから、これでアーティストプロモーションしろ。それをするに当たっては何でもいい。自分たちで考えろ」っていう事で、Tシャツ作るだとか、いろいろ出たんだけど、結局、音楽をつくろうという事で、自分たちがアマチュアバンドの頃にやりたかった洋楽をカバーしたものを作って、それを売らないで、全部ただで配っちゃうっていう事をやったのね。結局、予算が二、三百万オーバーしてすごく怒られたけど。そういうのをやって、それがやっぱり70年代前半ぐらいのポップミュージックだったりして、結局あの頃のヒット曲が満載のCDを作って。そこからちょっとサウンドをそれ風の、そこの原点にまた戻ってやろうよっていう事になって、そこからサウンドが変わったかな。打ち込みはもらろん使うんだけど、もうちょっと当時の有形のロックより、サウンドもいろいろ変わってて。

T:それが『Marmalade Kids』の頃の?

辻畑:そうそう。『Marmalade Kids』からね。そこからスタートみたいな感じだったかな。それまではまだこんなのでいいのかなみたいな感じだったけど。

T:『Marmalade Kids』で、新たなファンが?

辻畑:広がったと思うし、あと何て言うのかな、今までアニメと重ねて見てくれてたファンが、もうちょっと音楽寄りの、ピカソのファンになってくれたっていうのがすごく大きい。その頃から自分たちで詞も手がけ始めて、「何を伝えたいかっていうのをちゃんとやろうよ」っていう事でやり始めたんで、そこまでもずっと、そうなってもついてきてくれてるファンが、いまだにずっと残ってくれてるって感じ。

T:このアルバムから始めたピカソのコンセプトというか、伝える事はどう変わったんですか?

辻畑:基本的にはやりたい放題、こういうのが売れるとか気にしないでやりたい放題やろうという事と、危険な感じというか、例えば夏だと、TUBEみたいにスコンといきたい訳じゃない。でも、夏っていうのも、結構危険な匂いするよねっていうような、例えばアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」だとか、ああいうちょっと斜めから切った、余りストレートでなく斜めから切ったものが好きだったんで、そっちからの切り口も含めていこうよって。だから、ひねくれてたのかもしれないけど、もうちょっと深い感じ方を伝えたいなと、カッコよく言うと。

T:詞にストーリー性とか?

辻畑:あると思うけど、詞はやっぱり、すごく大切だなと思い始めたのがこの頃からだったかもしれない。それまでは割と、そんなに自分が身を入れて歌うっていう感じじゃなかったからね。やっぱり基本的には、ビートルズの詞の世界だとか、それを踏襲してるというと、XTCだったりとか、その辺がすごく影響が大きかった。これがやりたかったんだなと思った時には年を食ってた、みたいな。

T:次の『12色のハンマー』は、どういうアルバムですか?

辻畑:それは『Marmalade Kids』の流れで、やっぱり同じようにやって、これがすごく面白くて、バブルの最後の頃に作ったのね。予算もふんだんに使わせてもらって、デモテープの段階の演奏から、プリプロでスタジオに入って、「じゃあ曲をこういう風にして」って、昔のビートルズだとかストーンズだとか、昔のバンドがやってた手法。もともと打ち込みでつくってきて、これを生に差しかえてじゃなくて、バンドで入って演奏して、少しずつ固めていくっていうやり方で、ギタリストとドラムを連れてスタジオにこもって、1か月とか2か月こもって、曲を少しずつ仕上げていってっていうやり方で、それを一部始終、最初から最後にストリングスが入ってトラックダウンになるまでの一部始終をビデオで撮ってたんだよね。それが残ってて、それがすごく面白い。今、こういうレコーディングって出来ないよねっていう感じで。

T:ストーンズの記録映画を思い出しますね。

辻畑:そうかな。曲がね、もう全く断片で、みんながあきらめてるのを、例えばキーボードの森が弾きながら、1人でスタジオでやってるのも、当時のマネジャーが撮ってくれてるのね。それで、みんながワイン飲んでるところに行って、「皆、ちょっと出来たから聞いてよ」って聞いて、「わかったわかった」って、じゃあこれこうして、ああしてってやっていって。最後にストリングスが、東京スタジオに戻ってきて、ストリングスが入って。でトラックダウンしてっていうのが、すごく面白い。

T:それは、映像作品で何か残っている?

辻畑:残ってるね。映像作品っていうか、いわゆる当時の8ミリビデオで撮ったやつだよね。

T:それ、発表されてないんですか。

辻畑:発表されてない。音源に関しては、メイキングという事で、これは『12色のハンマー』
っていうタイトルなんだけど、『ハンマーメイカーズ』っていうタイトルで。CD-Rで限定で一時期販売してた。うちのレーベルで。

T:映像作品は?

辻畑:いやいや。音だけ。だから、その映像も見つかったもんで、今度映像作品と一緒にして何かならないかなって考えてる。

T:次がベストアルバム。

辻畑:結構、ベストあるんだよね。オリジナルよりもベスト、同じぐらいあるんじゃない。『Seiz』そうだし、『シネマ』っていうのもベストなんだよね、これ。『Saiz』もベスト、これもベストでしょ。

T:サウンドトラック『Vretigo』。これは?

辻畑:これ、おもしろいアルバムで、箱根に『ロックウェル』っていうスタジオがあったのね、昔。昔で言うと甲斐バンドだとか、その人たちがレコーディングしてたスタジオで、16チャンのアナログなのね。そこをKITTYレコードが買い取って、そこをバンドのリハーサルに使ってたの。俺たちもそこでリハーサルやったりしたんだけど、「リハの時の取った音のほうがいいよね」っていう話がしょっちゅう出てたの。「だったら、そこでさ、レコーディングやっちゃおうよ」っていうんで、大反対を押し切って、そのころもう24からもう48チャンに変わるかっていうような時代だから、16チャンのアナログでなにやるのみたいなことだったんだけど、そこに隠って作ろうとしてた時に、その『Vretigo』の劇版の話が来たの。じゃあ、これ失敗してもいいから、これだったらオリジナルアルバムとは言えないから、そこでちょっとやってみようよって言ってつくったのが『Vretigo』で、それで練習してちゃんとつくったのが、その後に出た『チャンピオンのノスタルジー』っていうアルバム。「出来るな、これは」という事で。

T:この『Vertigo』っていうのは、映画?

辻畑:それはね、映画だったらちゃんとやってるかもしれない。テレビドラマ。

T:テレビ?タイトルも、この『Vertigo』。

辻畑:いや、すごいよタイトルが。『嵐の中の愛のように』っていう。浅岡ルリ子主演の。(笑)

T:(笑)『Vertigo』に続いて『EARLY BEST』があって。

辻畑:ベストね。

T:『EARLY BEST』は、初期のベストで。

辻畑:そうだね。それはレコード会社の人たちが勝手に出しちゃったやつなんだけど。で、次の『チャンピオンのノスタルジー』っていうのが、アナログレコーディングの面白みっていうのを、そこでやろうっていう事で。しかもね、レコーディングって、スタジオで予算がかなり取られるのね。『12色のハンマー』でバブル弾けちゃってるもので、ない訳。ない中で、そこのスタジオはタダな訳だよね。だから、1か月こもろうが、2か月こもろうが、誰も文句言わないっていう所で、そこに隠ってじっくり作らせてもらったのが『チャンピオンのノスタルジー』。

T:『チャンピオンのノスタルジー』のタイトルは、何から来てるんですか。

辻畑:これね。最初、カート・ボネガットの「チャンピオンの朝食」っていうタイトルの小説があって、それっぽいタイトルがいいなって言ってて、そして出来た曲の中に、自分がもう成功して、成功している男がね、町をふと見た時に、自分がまだ成功してなくて町をうろうろしてた時を思い出しながら、昔を思い浮かべるっていう「あの頃よかったな」っていうような詞のものがあったんで、じゃあ、これチャンピオンのノスタルジーにしようっていう事で。

T:内容的には、どういう感じになってますか?

辻畑:色々。当時、これは何年前だろう。10年前か。当時、『大統領の異常な愛情』っていう曲があって、映画の『博士の異常な愛情』ってキューブリックのあるでしょう、それと引っかけてつくったんだけど、大統領っていうのは北朝鮮の大統領で、一人の男が恋に破れて核のボタンを押しちゃうっていう話を曲にしたりとか、そういうのをやってたね。今だったら旬だったんだけど、ちょっと早過ぎた。

T:続く、アルバム『Shopping List』は?

辻畑:この辺はね、さっき言った懐かしのプロモーション盤みたいなの作ったって言ったじゃない、ただで配った。あれを「作ったなら売れ」みたいな話があったりして、それを混ぜて、『チャンピオンのノスタルジー』の中の曲と混ぜて、マキシみたいな形で出したの。

T:1と2がありますよね。

辻畑:1が評判よかったもんで、2だしたんだと思う。

T:1996年、『Shopping List 2』を出した後は?

辻畑:その後に、KITTYを離れて、2年間ぐらいプロデュースに専念してた、3人とも。それで、ある日コンピューターとかも全然興味なくて、インターネットもした事なかったんだけど、よく使ってる伊豆スタジオっていうところで、「『ピカソ』、インターネットでホームページいっぱいありますよ」っていうから、「何、それって?」と言って、使い方わからないから出してもらったら、ピカソのファンがつくってるホームページっていうのが、すごくいっぱいあって、その中であの曲は、ああだこうだとか、この曲はああだこうだっていうやりとりがあって、これって新曲出すとか言ったら大変な事になるんじゃないのとか、冗談で話してて、書き込んじゃったのね。「次、僕たちピカソがレコーディングして、次もうすぐ新曲出します」とか書き込んじゃったら、ちょっとその中で大騒ぎになって、「ちょっとこれはやるしかないね」っていう事になって、『プロジェクト・ピカソ』っていうチームをつくって、そこの時にやってたプロデュースの流れもやりつつ、自分たちの発表をもう1回ちゃんとやろうよっていう事でやり始めた。

T:その『プロジェクト・ピカソ』を立ち上げたのが2000年?

辻畑:2000年ぐらいだったと思う、たしか。99年とか2000年とか。そこから道が。

T:それまで1996年から2000年までのプロデュース活動はどういう感じの活動だったんですか?

辻畑:いろいろ新人を。3人ともやってたんだけど、新人が多かったかな。例えば半年後にデビューさせたいんでプロデュース、まずレコーディングから色々と教えてくれみたいなところから始まって。だから、もう出来上がってるものをプロデュースするっていうよりは、まず初めての人を教えていってあげるっていう形のをやってたね、当時は。もうデビューしてるけど、我那覇美奈だとか、彼女は中学卒業したばっかりだったかな、来てスタジオに隠ってずっとやったりとかしてた。よくプロデューサーの体力の大変さが良くそれでわかったって感じ。結局、みんなプロデューサー、プロデューサーって言っても、スタジオの中でやってプロデューサーっていうんじゃなくて、プロデューサーって本当は一番大きいのが、予算の管理だとかプロモーションどうするとか、宣伝をどうするとか、そういうところまで自分が作ったものがリスナーに届くところまでちゃんと見てあげなきゃいけない訳じゃない、ほんとは。でもアレンジしただけでプロデュースって、それはほんとはプロデューサーじゃなくてアレンジャーだね。だから、その辺がすごくひしひしとわかったのがその時だった。メーカー決めからするっていう感じだったので。

T:その間は3人は、別々の活動に?

辻畑:別々だけど、1人のところに集まって、1人のところに集まってってやってても来たりとか。いろいろやりくりをお互いに。

T:違う部分でピカソ3人かサポートしてるというか、共にプロデュースを?

辻畑:基本的にはどれもピカソ3人でサポートしてるの。だけど責任者が、プロデューサーだと言われる人がこの人っていう事で。スタジオの中では、ほとんどいつも3人集まって。この頃から、エンジニアだとか、プログラマーだとか、そういういわゆるスタッフというか、音楽の周りにかかわってくる人たちも集まってきてくれてたんで、チームごと動いてたかな?マニキュレーターも含めて全員で、こっちの   とかこっちのはっていう感じで動いて。今もその流れでずっとやってって。

T:フリーみたいな感じで動いてて、『プロジェクト・ピカソ』で具体的な事務所っていうか、自分たちの場所を?

辻畑:ちゃんとオフィシャルな形にしないといけない事も出てくるんで、社会的立場も出来てくるんで、会社にしてやろうよって。

T:会社名は?

辻畑:『有限会社プロジェクト・ピカソ』。

T:レーベル名は?

辻畑:同時に『メトロノームレコーズ』っていうのを立ち上げて、それは自分たちプロデュースして、これまで何年かプロデューサーやってる時に、作ったはいいけど、発売元がなくてお蔵になっちゃったものがすごくいっぱいあるのね。作品もそうだし、タレントもそうだけど。それっていいものってもったいないじゃない。お金っていう事じゃなくて、その人にとってもあれだし。

T:発表の場みたいな?

辻畑:そうそう。やっぱり自分がいいと思ってつくったものは人に聴いてもらいたいなというのがあったんで、そういう場も作ろうよという事で、レーベルをつくって。当時、インディーズレーベルも流通も含めて、割とメジャー化してきたから、じゃあちょっとやろうっていう感じの事でやり始めて。

T:『メトロノームレコーズ』、レーベル第一弾は?

辻畑:第一弾はね、ひどいよ。第一弾。笑われるかもしれないけどね、新作をつくろうっていう気持ちで初めて、最初はピカソでやろうっていう事だったんだけど、「新作をつくろう」って言って、でも「レーベルが始めます」っていうのを先に言っちゃったんだよ。でも作品がない訳。その時に、たまたまうちのスタッフも含めて、ピカソの今までのずっとデビューする前からのカセットのデモテープをみんなそれぞれ持ってたりして、それを持ち寄った時に、これ面白いかな?っていうんで、それをデモ曲集にして、それをCDにした、それが第一弾。でも、すごく面白い。自分たちはね、すごく面白い。

T:とてもアナログっぽい感じで?

辻畑:もちろん。カセットテープだったから。それをCDにして。だから、「音は悪いですよ」っていうので、デモだから。歌詞もついてなかったりするから、いい加減な英語で歌ったりとか、ラララで歌ったりとかするのがあって、そういうのを最初に出したかな。

T:そこからどういう動きに?

辻畑:そこからはね、まず最初に『Bell&Accordions』っていう、これもでっち上げたというか、かがわひろみっていう女の子がいて、その子に僕がつくった作品を歌わせて、それをNHKのみんなの歌っていうところに『潮騒のうた』っていうのが、みんなの歌っていうところでオンエアされるということが決まったんで、それを『Bell&Accordions』っていうバンドの名前にして、架空のバンドなんだけども、出そうという事でそれでアルバムを1枚つくって、それがピカソ以外では最初だった。

T:他には?

辻畑:当時、手がけ始めてた新人たちが何人かいて、それを取りあえずマキシシングルで、まずは皆、名刺がわりに出して、そこから次どうするか作戦を立てていこうという事で、おのおの4、5人いたんだけど、順次マキシで出してたっていう。本当はアルバムが良かったんだけど、なかなか新人の場合アルバムになると、かなりクオリティが下がる可能性もあったので、まずはマキシで濃いやつをっていう事で。

T:3、4曲集中してっていう?

辻畑:そうそう。ずっとあとは、今までやったことなかったプロモーション活動をやったりとか、あと、ちょうど、シティFMが出始めてた時で、そっちはオンエアを楽にしてもらえてたんで、そっちにアプローチしてみたりとか、いろんな事をやったね。もちろんNHKのみたいに、『みんなの歌40周年記念コンサート』とかって、NHKホールで歌ったりとか、そういう大きいのもあったし、ほんとうにその辺のスーパーで歌ったり、僕は歌わないけど、歌わせたりとか、そういうのもFM絡みでやったりとか、いろんな事を。でも、基本的にはすごい勉強になるよね。リスナーをちゃんと見るということからいうとね。

T:ピカソとして一番新しい盤っていうのは?

辻畑:『SPICE』っていうやつで、これが一昨年に出て、これも、ずっとこれを作ろうっていう事で始めてたんだけど、いろんな事が後ろに後ろになって、なかなか現実にならなかったんだけど、やっと出来ましたって感じだったね。

T:この『SPICE』は、内容的にはどういうものになっているんですか?

辻畑:内容は、まず『SPICE』っていうタイトルにしたところから、これだけ生きてくるといろんな事があるじゃない、恋愛かもしれないし、リストラかもしれないし、人の死にも立ち会ったりするかもしれない。そういうのを全部カッコよく言うと人生のスパイスっていう感じで、そういうものだっていう事を、色んなものを刺激になるものをまとめた作品っていうことにしようという事で、『SPICE』っていうタイトルに。そろそろ次のアルバムのタイトルも決まってて、楽曲も出揃ってるんだけど、なかなか腰が上がらなくて。

T:ファン期待の、次のタイトルも?

辻畑:タイトルは、『ロータスイーター』っていうタイトルのアルバムを作るっていう事になってるんだけどね。『ロータスイーター』って「怠け者」っていう意味なんだけど、ロータスって蓮の葉じゃない。蓮の葉を食べる人っていう事なんだけど、昔、古代ギリシャでは、「働かざるもの食うべからず」っていう言葉があって、そういう思想のもとに社会があったんだけど、蓮の葉だけは働かない人も食べてよかった。それで怠け者っていう意味があるらしいんだけど、そのロータスイーターっていうのを、ちょっと。

T:最近、ライブはどんな感じになってるんですか?

辻畑:去年の暮れに、斉藤ネコさんのカルテットのゲストでちょっと出たのと、あと去年の頭に渋谷のエッグサイトでやったか。ほとんど、ここのところはやってないかな。

T:そろそろ、ファンの人たちから「ライブやってくれ」とかあるんじゃないですか。

辻畑:言われるんだけどね、ちょっとライブ、僕、歌うほうだからきついなっていう感じがあるよね。昔ね、『シネマ』が売れてた時期とか、ライブとかツアーやったりしてたけど、お客さんってほんと静かで、「聴いてるのかな?」と思うようなところがあったのね。すごくシーンとしてて、ライブやっても張りがない感じだったんだけど、『プロジェクト・ピカソ』が始まって、ライブ何回かやったんだけど、すごい熱狂してくれるのね。「何で、昔からこう」って。「今じゃ遅いよ」っていう感じだったけど。でもライブは楽しかったけど、結構パワー使うから。でも、次のアルバムが出たら、きっと。社長なんで、社長としてはタレントにはやってもらわないと困るから、「やらせよう!」と思ってます。

T:わかりました。ライブもとても楽しみにしています。また一緒に何か楽しい事やりましょう!

辻畑:ありがとうございました。楽しみにしています。

-end-


ピカソの詳しいインフォメーションは
オフィシャルサイト→http://www.pro-picasso.com
辻畑鉄也さんのパーソナルサイト→ http://www.pro-picasso.com/tetsu/index.html


【Discography】



「PICASSO」
1985.08.21/VAP


「ダイアモンドの月 」
1986.08.21/VAP


「CINEMA」
1986.12.21/VAP


「PHOTOGRAPH 」
1987.05.25/VAP


「Marmalade Kids」
1989.08.25/KITTY


「12色のハンマー」
1990.08.25/KITTY


「Seiz」
1990.11.05/VAP


「Vertigo」
1993.08.11/KITTY


「EARLY BEST '84-'86」
1993.10.01/VAP


「チャンピオンのノスタルジー」
1994.09.24/KITTY


「Shopping List」
1995.09.25/KITTY



「Shopping List II」
1996.06.25/KITTY


 

 

 

 

















































































【Discography】


「METRONOM Records」



「SCRAPS」
2000.6.20/METRONOM Records


「笑うラクダ」
2000.6.20/METRONOM Records


「hammer Makers」
2000.12.1/METRONOM Records


「Presents For Lovers」
2001.5.10/METRONOM Records



「SPICE」
2002.10.4/METRONOM Records





















































































































 

 

 































































































































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