よしだよしこ (2009年秋)

待望のニューアルバム「She said NO !」をリリースした、
シンガーソングライターよしだよしこさん、最新インタビュー。


(2009年9月某日/川崎にて/インタビュアー:TERA@moment)





 よしだよしこ (YOSHIKO YOSHIDA)
 最新インタビュー (2009年秋)

  Talk&Interview #81
 
  


    
 よしだよしこ 最新インタビュー (2009年秋)


TERA
(以下:T):よろしくお願いします。

よしだよしこ(以下:Y):よろしくお願いします。

T:前回のロングインタビューに引き続きまして、2009年秋の最新インタビューということで、まず、今年の活動の動きみたいなものを教えてください。

Y:お正月から歌っていて、二月はいつもの通り北海道行って、三月もツアー、そんな中でレコーディングの用意をして。三月にレコーディング始まったんですけどね、少しずつやっていって全部はけたのが7月の終わり。、そのあと4月、5月、6月もやったんだな。ツアーしながらね。なんだかんだで結構かかって、少しずつやりながらジャケット写真どうしようか、とかやって、十曲入りの四枚目のアルバムが出来上がったと。それで、九月の始めに製品が出来上がって。久しぶりに八月はあまりツアーをしないでゴロゴロしていた、という感じ。体がね、やはり気を張っていたから動かなかった。

T:ニューアルバムなんですけれども、アルバムの制作に入るきっかけ、今回はいつぐらいから、動き出したんですか?

Y:あんまり今年にアルバムのようなものを作る気はなかったんですね。やはり昔の人間なので、アルバムというのはどうもトータル性がないと我慢できないというのがあったんで、大きなテーマがあって、それに沿って作っていきたい、っていうのがあったんですけど。たまたま大きな曲が出来て、それをどうしても、やっぱスピードが大切な時もあるので作る。でもシングルで出すわけにはいかないな、五曲っていうのもつまんないな、じゃあ十曲にしようかな、ていうような感じで。今までアルバムに入れてない曲もありましたし、新しく作った曲も勿論あったので、まあ早々と。私の思いよりはアルバム見切り発車しちゃった。
でももうそのときにはテーマもタイトルも決まっていました。


T:今回のテーマはどういうものなんですか?

Y:テーマというかタイトルが『She said NO!』彼女はNoと言った、という歌の題名なんですけど。それがメインになってるんですけど。とても簡単な言葉なんだけれども、なかなか簡単な言葉というのは大変難しいな、っていうようなことがテーマで。あとはやっぱり勇気と感謝とそういうことを普通の言葉で、普通の人が聞いて、って私も普通の人なんですけど(笑)あんまり何歌ってるのかな?っていう難しい詞は私も苦手なんで。サブタイトルが『フツウのコトバたち』っていうことで。すごく短い詩もありますし、詩人の人が作った詩もありますし、絵を描く人が作った詩もあるし、私自身が作った詩もあるし、外国の曲から自分の詩にしたものもあるし、という感じ。

T:タイトルの『She said NO!』について、もう少し教えてください。

Y:これはね、すごく長い曲でね。10分近く、9分あるのかな。『We shall over come』という歌が、ご存知の方は沢山いると思うんですけども。アメリカの50年代初めぐらいにすごいブラックパワーというか、黒人の人たちが色んな権利を求めて、公民権、権利を主張して色々なところで暴動が起こったりデモが起こったりしていた中で、有名なキング牧師とワシントン大行進とかそういうことが歴史の教科書にも載ってたりするんだけども。そんな中で、まだキング牧師がそういうことする前に、バスも隔離されている、水飲み場も隔離されている、トイレも隔離されている、レストランも、そういうような南部で、ある一人の女の人が、バスに乗っていて混んでくると黒人は立たなければいけないというそういう決まりがあって、その決まりを彼女はある日拒否して、そこ立ちなさい、って言われたんだけど「No!」と彼女は言った、という。名前が、ローザ・パークスという人で、長命な方で、亡くなられたの四年前になりますか。日本にもいらっしゃいましたけども、直接はお会いしてないですけども、普通の人が普通にそういうことを言ったことで大変な運動が起きたんですよね。バスをボイコットしようと。当時お金のある人はみんな車乗ってたけど、だいたいが黒人のとかプアな人たちがバスを乗る。そのバスに乗らずにみんなで歩いて職場に行こう、っていう運動が始まってそれでそのときが来た、ていうのでキング牧師が立ち上がってそれがアメリカ中に広がっていったっていう、そういう公民権運動の発端になった、そういうキッカケをつくった女の人のことを歌って。ローザ・パークスのことだけ歌ってもしょうがないわけで自分の気持ちをそこに織り込んでいきたかったので。私もとてもちっぽけで何にも言えない時もあるけれども、やはり勇気を出して言わなければいけない時には言わなければいけないし、そういう自分に対して応援の言葉でもあるし、世の中に対しての問いかけでもあるし、一緒に元気になろうと言う歌でもあるし、そういう歌です。

T:この曲はいつぐらいに作った曲なんですか?

Y:ずっと考えてはいたんですけど、歌にしようと思って出来上がったのは今年の二月の終わりぐらい。ですからすぐですね。もうだから歌う度に変わっていって、歌うたびにみんな違うな、と思ってたと思うんですけど。長かったので。これバンドでやったんですけど、 バンドの人たちも大変だっただろうなと。

T:これからも、変わるかもしれない?

Y:いや、これ以上はもう変えないし。変えるというよりも。これを作ったことで、一人の女の人のことを歌ったことでもっとなんか世に知られていない普通のこととか普通の人とか自分も含めて、別に名前とかお金とかなくてもこんなことしてる、というような人のことも歌っていきたいと思うし。それから、これを作ったことで自分の暮らしもなんかちょっと、すこし真剣に見つめることが出来た、ですね。真剣に見つめることが出来たって言うのは、まだ歌を再開して、前回も言いましたけど、前回は五年目だった、今回は六年目になるんですけど、歌の世界っていうのをいわゆる職業にしている人たちとかを知ったのは高校生の頃だから、四十年近いわけですよね。その頃に前にも言ったように、世界の文化とか社会背景とか、それから日本のこととかそういうことも色々いっしょに、歌と一緒に入ってきて取り込まれていって、そのときに素敵だなって思ったこととか、自分も実践してみたいなと思ったこととか、やはり色褪せていったり錆付いてしまってたりとかね。ほら、よくファーストフードとスローフードとか言うけれども、言葉で言うのは簡単なんですけど、やはり急いでたらその辺でサンドイッチ買って中身も確かめずに食べるわけですし、でもこだわろうと思えばどこまでもこだわらなきゃいけないんだけども。生活に追われていると優先順位が狂うわけね。例えば今いいもの一つ食べるにしても、身体にいいもの食べるにしてもお金がないとなかなか食べられなかったりね。時間がないと食べれなかったりね。それってすごくおかしいことで、でも私は、ワンパック百円の卵しか買えないんだよ、というような、文句あるかっていうような部分もあったりして。全てがなんかそういう矛盾の中にいて、でも自分なりにやはり無駄はいけないとか、争い事一つにしても、全部がリンクしてるはずなんだから、この矛盾を自分で少しずつ解決していくしかないわけで。リズムに適ったということをもっと大切にしたい。完璧には出来ないわけじゃないですか。毎日そんなワンパック五百円もするような卵を食べれない人間が。でもここまでは出来るなっていうところで折り合いを付けられる年頃になったのではないかなと思うので、折り合いを付けられる年頃になった人間なりの暮らしをしたいなと思うようになったというわけ。筋を通すところは毅然とね。それはすごく努力が要るんです。もうお米一粒から始まるんですけどね。だからそこに近づくのに今まで三十年以上かかったんだから、あと三十年か、と思う。三十年で一回りかなーっていう思いがしてこの『She said NO!』の中に歌詞に『We shall over come』というね、みんなが行進をして、公民権運動、ベトナム戦争の悪さを色んなことで歌っていった歌の歌詞が入っているんだけども、三十年経って、今度は自分に向き合って、Weの中の一人なんだけども私は乗り越えていく、変わっていく、ちゃんとしていく、そういう思い。三十年一回りだったかなあってすごく思ってね。これから三十年後って言ったら八十五歳だから、大変なことになっちゃうんですけど。そんな時に地球もどうなっていくか分からないんですけれどもね。でも今やってれば三十年後にもやれるはずなんで、それは三十年前にちょっとやってみて覚えているからやれていることもいっぱいあって、私達は実はもう音楽界みたいなショウビジネスのミュージックシーンで言ったらもう終わっちゃった人たちかもしれないですよね。なんていうんだろ、ビジネスとしてはね。もう全く音楽の形態は変わってきているし、それはしょうがないことだと思うけど、いつまで経ったてコードなんかいくつもそんないっぱい覚えられていないわけだし。リズム一つ取ったってそんな難しいリズムが刻めるわけでもなく、昔どおりの作り方で、一生懸命原稿用紙に歌詞を書いて、そこにコードをつけてギターを、っていうのはもう変わらないわけで。でもやれることはまだあるから生かされてるわけで。そういうようなちょっと小難しい話になるんだけど、さあどうやってサバイバルしましょうか、それはミュージックビジネスとかなんとかビジネスとかそういうことでなくて。人間としてねそういう生命力のね強いものになっていかないと、おかしいはずなんだよねっていう。生き残りたいなあって思いますよ。30ん年前はファッションとして真似していたかもしれないめれど、そらにも意味があって、この歳になって思い出しながら、また発見しながら出来ることがまだまだある。特に日本人の素敵なところなかんずく女性たちのね。

T:ちょっと話戻るんですけど、レコーディングのエピソードとか、何かありますか?

Y:うん、えーとねえ、今回は一枚目の録音させてもらった近藤達郎さん、といって「ラブジョイ」ってバンドでも中心的な役割をしていたり、私がとても信頼しているミュージシャンであり、色々音楽活動されている、近藤さんのお宅を借りて一枚目と同じように小さなスタジオで。あとはバンド曲が四曲。小さなスタジオなんで私は隣の奥の和室で一人で音聴きながら一緒に歌って、ギター弾いて、って形で、今までのように先に仮カラオケ録って、はいリズムとって、はいギターかぶせて、歌やって、みたいな形ではなく、もう同時録音でほとんどやりました。あとは、コンドウさんのピアノと一緒とかギターの弾き語り。全十曲。静かな音量のものが六曲ばかり。バンドが四曲。音はとてもいい。

T:この十曲は最初から十曲って決めていたんですか?それとも落とした曲とかあるんですか?

Y:落とした曲はありますけど、それは外国の曲に詩をつけたので許可が下りなかったのでやめました。


T:残念ながら、といった感じで。

Y:残念ながら。

T:フツウのコトバ達、の部分なんですけど、『言葉』の部分で何かこのアルバムに、一曲一曲ごとにあとから聞いていきたいと思うんですけれども。

Y:何と言ったらいいのかな、あんまり、求めない、っていうのがテーマかな。見返りを求めない、とか。って言ったら反対にあやしいよね。おかしいよねお金頂いてるんだから(笑)


T:(笑)なんとなくわかります。

Y:でもやっぱり真実っていうのは一つであるし。愛って言うのはやっぱり崇高なもので、崇高なものはやはり、これをしてあげたからこれが欲しいわというようなものではない人に、あと三十年後にはなってたらいいのにな、っていう思いもあって。ずっとそういうことをテーマにして歌ってきてましたが、じゃあ自分自身がそれに追いついてるか、っていうと、人間ね、そんな簡単に変われないからね。歌ってるとね、そのつもりになっちゃったりするから怖いんですけど。しかし唄というツールを使って自分も周りも少しずつ良い方向に変わっていきたい。

T:では、一曲ごとの解説をお願いします。

Y:はい。一曲目が突然バンドでね『今夜彼女は台所を棄てた』という。「すてた」は放棄するの字なんですけどね。女の人が家をでる歌ですね。すごく分かりやすい詩で。男の人が女の人に暴力振るうようになって女の人は我慢してたんだけども、ある日出て行ったというね、歌です。

T:それが一曲目。

Y:はい。二曲目はね、道と言うのはとても短い曲なんですけど、江口あけみさんという詩人の方が詩集を下さってその中にあった詩で、とても短いので、弾き語りでギターで大好きな歌なんですけども。これもとても分かりやすい言葉で好きになってもらえるんじゃないかなと。三曲目は十代のときに作った歌で、虹の根っこというDVDがあるんですけど、その中には入ってるんですけども、これは今回ピアノ、キーボードの近藤達郎さんを、私が作ってすぐくらいに聞いてこれはとても好きだと昔から言ってくれていたんですけど、なかなかCDにならなくてね、もういいんじゃないかなって思ってたんですけどでもとても普遍的な言葉なので、やはりあの十代のときに作った言葉はきちんと残しておかなければいけないと思って、長い曲ですけど今でも歌える唄なので。四曲目はね、これはねばらしますとね、ばらしていいのかな(笑)別にいいみたいね。あの本当はね、『Hasten Down The Wind』って、ウォーレン・ジーボンの作品、亡くなってしまったけど…、風にさらわれた恋とか色んな邦題がついているんですけども、日本語で歌ってる人がいなかったんで、どうしても唄いたかったのね。昔々ちょうどアメリカ行く前に、その頃の恋人が別れ際にオリジナルの英語の歌詞を便箋に書いて渡してくれて。そのときはどんな意味だったのかよく分からなかったんだけど。女の人が男の人に別れ話を言うというね、普通反対が多いんだけれども。あまり演歌にはない詩で、でもそのころ70年代の歌ですから、それはとても素敵なことだったんでしょうね女の人にとってはね。それを実は日本語にしたんですけれども、やっぱり許可が下りなくて、でイメージとしての詩だけ、直訳ではないので、自分のギターを爪弾きながら語ったんです。語りで入れました。それならいいよって言ってくれたんで。

T:なるほど(笑)で、五曲目ですね。

Y:五曲目が『She said NO!』まあ真ん中に入れようと。これもバンドでね。バンドのメンバーがコンドウタツオさん、ドラムスが前回もお願いした永原元ちゃん、ベースが松永孝義さん、でよしだよしこがギターと歌という形で。重厚です。


T:五曲目が聴き所ってことですよね。

Y:これはね、こういうものはとても地味なものだから、そんな露出されにくいくらい長い歌だし。でも目の前で聴いてくださる方にとっては色々な情景が浮かんできて最後に何か自分の心に行き着くような、なんかそういう歌であったらいいなって。

T:六曲目は?

Y:「山」マンテンダルシマってね、作った曲で、ダルシマで作りたいんだけど中々時間がなくて作らなくて、ギターをうちで弾いてもなかなかダルシマをね、わざわざ家でそれだけのために色々弾くっていうのが正直はあんまりないんですね。それはいつも気にしていたことだったんで、モチーフとしてはもっと別のメロディであった詩だったんですけれども、ダルシマで弾いてみたらメロディが変わってきて、好きな歌ですね。自然と人間の違いって言うか。もちろん人間も素晴らしいんだけども、自然というのはね、「我」がないというか。セルフ、じゃないんですね。そういう歌です。

T:七曲目は?

Y:七曲目は可愛いラブソングなの。『秘密はひみつ』というタイトルで、秘密は秘密なんだよというのは、ある尊敬する人から昔言われた言葉で秘密は秘密、重みのある言葉で。秘密って言うのは黙ってるから秘密、ってね。よく言われるのが「内緒なんだけどさ」ってこれは秘密ではない、ということでね。まあ実際に歌い手の人が誰かに恋した、あるいは反対に歌い手に恋したということもあるし。小さな小屋かもしれないしコンサート会場かもしれないし。『KIling me softly』みたいな内容でもある歌です。

T:これは新しい曲なんですか?

Y:新しい曲です。

T:じゃあ八曲目。

Y:『音』音ね。これもね、ずいぶん前に作っていたんですけど中々アルバムに入れられなくて。これはね歌詞が春日はるなさんといって、おなじみの人もいるんだけども、私の一枚目のアルバムの絵を描いてくれたり、その中で扉、レクイエムという詩も書いて。絵描きさんの作る詩というのは面白いもので、やはり歌を歌ってる人間とは違う詩が言葉が出てきて、そして彼女とはずいぶんこの歌詞について、私分からない部分があったんで、人前で中々歌えなかったんですね。やっと話し合って納得したんだけれども。やはり絵を描く人って音楽を作る人に対してすごい憧れがあるそうなんですよね。本当は絵も描けて音楽もやれてればとてもいいので、そういう人もいっぱいいて。私はうらやましい。私は絵を描かないので思うんだけども。はるなさんはそういう意味で「音」。音いうものにとても憧れはあるけれども、でもやっぱり音でも行き着けないところがあるのではないか、表せないものもあって。でも絵でも表せないものもあって。でもアーティストっていうのはね、これは私の勝手な思いですけれども、その行き着けないところに行き着こうといつもしているので、これも短い曲ですけど、弾き語ってみました。

T:九曲目いきましょうか。

Y:九曲目はもうあそばせてもらいました、バンドで。チークトゥチーク。アービン・バーリンの曲で。一枚目にもバーリンの曲はBlue Skies入っておりますけれども。チークトゥチークも大好きな歌で、ミュージカルで『トップハット』、ジンジャーとフレッドのね、の二人ですよね確か。の為の音楽なんですけれども、私は『グリーンマイル』という映画の中で、主人公の彼が、トップハット見るんですよね、死の直前に。前の日に。刑務所でね。その美しさに感動し、その唄の歌詞「Heaven。。。。。」をそのときにずっと彼は心の中でそれを歌ってた、それが感動的で。私が歌うチークトゥチークはもう本当に普通のラブソングにしましたけれども。私は踊りがすごく苦手だったんですよね。でも旅をするようになって、すると宴会があるじゃないですか。でね南の方とか北のほうとか行くと必ずみんな踊るのね。でそのうち踊るようになっちゃったの。お酒が入ってるからっていうのもあったんだけど。でもお酒がはいってなくても踊れるようになって、それがすごく嬉しくて、チークトゥチーク、頬寄せ合って踊る、んだけども、ちょっと憧れ。踊れる相手がいたらいいんだけども。これを流しながら踊ってもらえたらいいな、と思って。

T:で、最後。

Y:最後はチャーリーチャップリンの『モダンタイムズ』の中で、チャップリンが勿論作って、共作の人もいるんですけれども、メロディだか詩なんだかわからないですけれど、でもチャップリンが作った曲で『スマイル』に私の詩をつけまして。この詩も自分ではとても気に入っているので本当に許可を取るのがすごく大変だったんですけれども。特に映像になっているものはね。チャップリンぐらい偉い人なんでね、すごく大変だった。でも許可が下りたんで、やったーっと思ってもうこれはおしまいに入れましょうよって思って。ギターでも弾き語りしてるんですけどこれはもう近藤さんのピアノで。もうジャズとかスタンダードとかあまり関係なく。でも必ず何か入りますねこういうカバーのものがね。やめればいいのに、ってみんなに言われてね。

T:これは英語詩ですか?


Y:日本語。

T:日本語で。

Y:私の詩。でもあるジャズシンガーの人がこれ歌いたいって言ってくれたんで嬉しかった。

T:という十曲ですね。

Y:はい。

T:これを引っさげて、ツアーライブに。

Y:はい。今年のお正月くらいまでもやもやしてて、作る作らないということよりも『She said NO!』というの何とか作るということしか考えてなかったので、もう一緒に走りながら作ったアルバムなのでたぶんなんか今年は、いろんなことが一緒くたにお団子のような感じでね。雪だるまのようになって、転がれば転がるほど色んなものも背負って行くぞーって感じなりそうで(笑)それは今年の秋から来年一年くらいかずっとそんな感じなんじゃないかな、って感じはします。その間にまた何か作るかもしれないし。

T:なるほど。ジャケット写真は、また(井出)情児さんですね。

Y:そうそう。見ます?これね、表側だけにしとこうかな。こういうね情児さんのお庭で撮ってもらった。

T:で、ライブが10月に。

Y:はい!だから雪だるまのような状態で、10/2にアルバムが発売で、10/11、連休の最初の日なんですけど、新大久保のアールズアートコードというところで。年に一回私は自分企画でライブやらせてもらってるんですけども、今回は大変なことになっちゃって、ゲストがきます。レイチェル・ファーロっていう人で、ほとんどの日本の人は知らない人で。こういうアルバムもあるんですけど。三十年以上前の私にすごく影響をもたらしてくれたシンガーソングライターで、今あんまり自分の活動をしてなくて、昔は小さなコーヒーハウスで歌って、旅もいっぱいしてて。二枚アルバム出してて、ジョン・サイモンがプロデュースをして、メンバーもあの頃の、マッドエイカーズなどのメンバーとか、ウッドストック系?、メンバーと一緒にやってたシンガーソングライターで。当時、ラストショウのメンバーの松田幸一さんと徳武弘文さんから「ちょっと、よしこっぽい人だから聴いてみたら」と薦められて、もう朝から晩まで聴いていた。そして後年彼女の歌を、私は二枚目のアルバムで『シーベックシーモア』というアイリッシュの曲に詩をつけた、『道ばたでおぼえた唄』という歌があるんですけど、それを彼女も彼女の詩で歌ってたんですね。それを三十二年前にニューヨークに行ったときに小さなコーヒーハウスで実際に見た。ダルシマも弾いていたんですね。それでびっくりしちゃって、彼女のアルバムをまさにラストショウのアリさんと徳武サンから借りて、でも歌詞もついてないから向こうのアルバム、もう何言ってるのか分からなくて、でも何回も聞いて。『道ばたでおぼえた唄』を作ったときに初めて彼女にメールを送った、出版社にメールを送ったんですね、まさか彼女がその出版社をやってるとは思わなかった、そしたら彼女が社長だったんです。で、すぐメールが来てすごい嬉しい、と。まだあるのか、って言うから、後二曲あったんです、『ランディングハイ』っていうのと『Oolala月の灯り』っていうのと、三枚目のアルバムに入ってるんですけど。それも送って、こんな意味だ、って言って。すごく嬉しい、まさかまさか日本で今頃私の歌が、って言って。で、やりとりをしていて、今年夏休みにニューヨークに行かせてもらうことが、それも偶然なんですけど、そんな流れで会って、彼女と対面して、初めて話が出来ていっしょにちょっと演奏して、家族の人とか色んな人に会わせてもらって。で、彼女が日本に来ることになった。で、この10/11に一緒に演奏することになった。彼女も自分の歌を歌いたい、っていうので私もソロ、今までこういう大きなことするときに弾き語りで最後までやるって初めてなんです。彼女も絶対誰かいるんですよね最近はね。彼女もソロでくる、ギターを担いでダルシマも担いでくる。二人でやります。勿論私のコンサートなんですけれども、かなり大きなゲストで、10/11がメインなんですけど、ここに二百人以上のお客さんが来てくれたら嬉しいなって思ってるんだけども、こういう組み合わせはそんなもう何回も二人では出来ないと思っていて、なので、小田原、京都、神戸、ツアーも組んじゃって。こんなことしていいのかって思って、全部私が企画するのですべてにおいて私が責任を持ってやるので、そういう意味では「よくそんなことやるね」って言われて。破産したらうちに寝泊りしてもいいよ、っていう友達も何人かいるから頑張りますけど(笑)

T:(笑)

Y:やっぱり私個人的に彼女のファンだったから来てもらう事になったんだけども、でも彼女も嬉しくって、きっと彼女も色んなことが今までの人生の中であって、休んでた時期もあったし、きっと身体を壊してた時期もあったし、色んなことがあったんだろうけど、やはり本物って何かしら、って思いながら生きてる人だと思うから、私はそういうことで儲けようとかあまり思ってはいけない、と思っていて。それは儲かった方が嬉しいんですけど(笑)破産しなければいいと思っています。

T:色んな人に来てもらえたらと。

Y:もちろん!もうこれは見逃したら絶対見れない。


T:楽しみです。

Y:楽しんで下さい。これはもう。


T:今年後半、どんな動きになっていきますか?

Y:そうですね。この10月のレイチェルとのツアーが終わったらもうとにかく『She said NO!』を持って、またいつもの通り、これは基本なので街から街へ、行かせてもらいます。呼んでくださる所があったら、本当によろしくお願いしたいなって思っていますし、どんどんやっぱり歳も取っていくので楽器を持って出歩くのは体力的にもとても厳しくなっていきますけれども、動かないともっとね、歳取っちゃうんで。いつまでやれますでしょう。そのままたぶん来年、10/11のコンサートは録音もしますので、映像も撮りますので、ひょっとしたらそれをまた何かの形でアルバムなり何かにしようかなと思っています。

T:では、また次回、改めてインタビューを。

Y:お願いします。

T:はい、楽しみにしてます。今日はありがとうございました。


Y:ありがとうございました。


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